エヴァ(ヱヴァ)破見ました

 みなさん、お元気でしょうか。僕はこのところとても元気にしております(なんか手紙みたいだけど)。というのも、なんというか今年は当たり年で、けいおんは面白かったし、春樹さんの新作1Q84もすげえ面白かったし(こういうベストセラーは普通一年ぐらいしてから買うんだけど、今回週刊現代さんに書評を書くということで送ってもらった。原稿は先先週ぐらいに載ったと思う)、さらに最近中国留学生腐女子に薦められて買った『鬼畜眼鏡』がなかなかのできばえで楽しませてもらっているし、そして、ああ、エヴァですよ。(ネタバレあるんで、困る人は読まないように)
 

 店の同志が予約を取ってくれて、総員6名、行ってきましたエヴァ(ヱヴァ)破初日初回、あんまり楽しみで前日は夜中に何度も目が覚めたよ。で、朝7時に起きて、眠い目をこすりながら車で近くのシネコンヘ。待ち合わせ時間の20分前についてしまって、車の中で、フランスパンを包丁で切ってチーズとハムとレタスをはさんだサンドイッチを食べ(作っておいたやつ)、フルーツジュースを飲んだ。もうどこからでもかかってきなさいという気分。
 気力体力十分で臨んだわけだが、さすがエヴァ、力が入りましたわ。興奮して手汗どころか全身汗ぐっしょりになるし、泣いたり笑ったり息を詰めたりの幸福な2時間が終わってみると、全身にわだかまっていた気が一気に脳天から抜けていったみたいで、みんなすこぶるハイになっていた。
 

 それから近所のファミレスに入って好き勝手なことを言い合っていたわけだが、全員に共通していたのは「もう一度見たい」という意見だった。一回見たものをまた入場料を払って見ようというのだから、いかに面白かったかがわかる。特に僕自身に関しては「序」のときはもう一度見ようとは思わなかった(実際行かなかった)わけで、今回のエヴァには個人的に破格の評価を与えたことになる。
 

 むろん、何から何までよかったというわけではなく、たとえば「綾波をあんなに幸せにしてはいかん、あんなの俺の綾波じゃない」、とか、「何でシンジはまたあんなに簡単にエヴァに乗ってしまうんだあ」、など、言いたいことは山ほどあるのだが、まあそういうゴタクを超えたできばえだったわけですね。
 

 僕が個人的にゾクゾクきた場所は三箇所で、まずは第8使徒落下の際に街が変形してエヴァの疾走を助けるシーン。僕らはガメラゴジラウルトラマンと特撮で育った世代だから、街が特撮的にこってり作ってあるだけで「よくやった、全力を尽くしてるなあ」と感動してしまうんだけれど、そこにひとひねり「変形」が入ってくるわけでしょう。しかもそれがほとんど成功の見込みのない作戦で、初号機が使徒の爆発を間一髪のところで止めるための最後の切り札になる。クリエーターが、あるいはクリエーター集団が、ぎりぎり全力を尽くしていてしんどいんだけれど、もっと面白くしようとしてさらに力を出している。そういうふうに見える。こういうのは同じものを作る人間として、心臓が痛くなるというか、ぐっとくるというか、ぶわっとくるというか、いやああぶなかったなあ。無論こういうのは観客が自分の心を投影してるだけなんだけど、それにしてもよくできていた。
 二番目が、言わずと知れた「裏コード、ザ・ビースト」。おおっ、そんなことができるのか、と驚き、エヴァの体から制御棒みたいなものがビョコビョコせり上がってきたときは本当にエキサイトした。拘束を解かれた開放感。一体このエヴァどんだけ強いんだろうと思いましたよ。ははは。
 そして三番目が「初号機が人の域を超えている」。なんか天使のわっかみたいなのが出てきて、背中には羽根みたいなものが見えて、第10使徒をかるーくぶっ飛ばす。以前僕は監督のインタビューで「背中の羽根がばっと開いて戦ってるところを見たい」というようなことを言ったことがあって、ところがこれまでそういうシーンがなかったので少しがっかりしていた。しかしこの時は「おお、これぞまさに俺が見たかったシーンよ。テレビ放映の時になあ」と思わずこぶしを握りしめましたね。
 この後、シンジが綾波使徒のコアから助け出そうとするシーンでは「まったくシータとパズーかよ、宮崎アニメじゃねえんだからなあ」と毒づくことになったわけで、その後シンジは綾波を助け出し、二人は融合してしまう。これは庵野監督の幸せな融合体験、いや結婚生活のせいだと思うのだが、自分が幸せだからといってキャラまで幸せにしてしまっていいんですか監督。いや庵野さん。そんなわけで僕にはエヴァンゲリオンは相変わらず庵野秀明のプライベートフィルムに見えるのだった。
 

 そういう意味で言うと、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターは僕には監督の奥さんの安野モヨコに見えてしまう。綾波庵野の内なる女性であり、母性であり、いわば永遠の女性として庵野の世界を完結させる存在だとするなら、マリはその完結した世界を外側から破壊しようとする生きた現実の女である。
 このように考えると、エヴァに乗ったマリが「365歩のマーチ」を口ずさむ親父キャラな理由もよくわかるのである。幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだというねという歌詞は安野モヨコのキャラクターや作品を象徴するものだと思う。
だからこそ彼女はあらゆる手段を使って自分のために戦う。表がだめなら裏コードだって使うのである。そういう意味で言うと、総力戦の象徴のように思える。人の手でできる最高のことをしようとする。これまでエヴァのキャラというのは精神的にもろいやつが多かったが、彼女はタフそうである。こうしたことを考えると、この新劇場版は庵野監督が自分の完結した世界を壊してまで新たな世界を求めた意欲作ということになるだろうし、その鍵である彼女が作品中で真の意味でのヒロインに成りきることができるなら、今シリーズは大成功ということになるだろう。
 

 そんなわけで、次作Qがいやがうえにも楽しみなわけだけれど、Quickening(急がせる、急)なんでふざけた名前がついている以上、こりゃ次は3年後かいな、などと悲観的にならざるをえないのであった。
このように、エヴァという作品は実はとてもわかりやすいんじゃないかと思う。それは庵野秀明のわかりやすさに起因しているはずである。ここで竹熊さんと以前やった「オタク顕教」「オタク密教」という話を思い出すと、顕教徒としての庵野秀明は自分の弱点を堂々とさらしながら、ここまでの作品を作っているということになる。体をぶつけるようにして物語を作り、そして自分の持ち味である特殊効果の能力を最大限に生かそうとしている。じゃあえらそうにしていた密教徒の人たちは、いったい何をしてるんだということになる。ダイエットしてるだけじゃなあ。
 もちろん、こういう両刃の剣は当然自分にも向かう。ふう、俺もがんばらないとなあ。