オタクとは誰か?―水木しげる先生の場合(1)

去年『萌えの研究』を書いてて思ったんですが、どんな人がオタクで、どんな人がオタクじゃないか、というのは、結構面倒な問題になっているようですね。

以前エヴァフリークの縁で、東浩紀さんと竹熊健太郎さんと鼎談したことがあるんですが、僕からすれば二人とも立派このうえないオタクに見えました。おかげでぜんぜん話に入っていけませんでした。ところが最近さる本を読んだら、東さんは「お前なんかオタクじゃない」みたいなことを言われたとか。うーん。まあ竹熊さんを「オタクじゃない」と言うのは見たことないんですが、竹熊さんにもそういう経験あるのかなあ。

僕自身は自覚的には自分がオタクだと考えたことはありません。『萌えの研究』も、あくまで一般人から見た『萌え』世界の体験ルポで、僕は表紙に「オタクの人は読む必要がありません」と入れようと思ったくらいです。

なぜ僕が自分はオタクとは言えないと思うかというと、理由はいろいろあるんですが、蒐集癖の欠如と、完全性への希求の弱さ、の2点を強く感じます。これを僕が思い知ったのは、水木しげる先生と海外に妖怪蒐集の旅に3度も行ったからで、水木さんの蒐集にかける気迫には毎回圧倒されてしまいました。気にいったら店にあるだけの精霊像を買い込んでしまう。蒐集した物は破損しないように船便は使わず全部手荷物にして、自分で(片腕で)念入りに梱包する。その入念さ。自宅の隣には妖怪博物館の準備室があって、帰るなり陳列、これがまた見事なんです。

水木さんの青少年時代はもちろんオタクという言葉はなかったわけですが、伝記とかを読むとオタク的行動をとっているように思えます。これについては次回。

ちなみ水木さんは僕のことを「あんた」あるいは「おたく」と呼びます。