オタクの納得する落ちとは何なのか?2

毎晩2話ずつ我が家の食卓でちびちびと楽しんでいたアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が先日最終話を迎えました。エヴァの終わり方をいまだに許していない妻(オタク)は、「これなら納得できるか」と尋ねると「まあ」と答え「いい作品を見せていただきありがとうございました」と言いました。どうやら相当納得がいった様子です。


だいたい妻はエヴァテレビ放映時の26話に腹を立て、いまだに劇場版も見ていないという筋金入りなので、彼女の反応からエヴァのラスト(シンジアスカの首を絞める)とハルヒのラスト(キョンキス)を比べるということはできません。エヴァ26話に対する彼女の拒絶は、庵野秀明が物語を終結できず、メタレベルに逃げてしまったことにあると思います。メタレベルへの逃避は結局のところ哲学的にみても無限後退に陥るだけなので、それを裏切りと感じる彼女の気持ちはわかる。しかもこれまで何度か劇場版を薦めたにもかかわらず、みたくないと言い続けてきた彼女の怒りは測りがたいものがあります。あるいは同時代を生きるオタクとしての庵野秀明に対する近親憎悪なのかもしれません。自分で高校に創設したアニメ同好会で、オタク男の脆弱さを身近に見続け切れ続けてきた、ということもあったと思います。エヴァの面白さをすばやく見つけて伝えてくれたのも彼女なら、今日まで切れ続けているのも彼女なので、期待が大きかった分、怒りもとどまるところを知らない、ということなのでしょうか。


竹熊さんは同じオタクでも、あの終わらせ方を肯定的に捕らえました。すると当たり前のことですが、オタクの納得する落ちとは、オタクのタイプによってまったく異なることになるわけです。


ハルヒはメタレベルに逃げず、むしろそれをうまく利用して、物語をきちんと終結させました。妻はその約束事がきちんと守られたことに満足したのでしょう。


かたや首絞めかたやキスということで、この二つの作品は終わり方も似て非なるものでした。「エヴァの終わり方、ハルヒの終わり方」ということで、いろんな人に意見を聞いてみたいですね。