オタクという言葉の使用について

どうも、取材中の大泉です。


それにしてもオタクのコミュニティーの中にいると、話し言葉としてオタクという言葉が使われないのには驚きます。きっと僕がこの言葉が気になってしまうのは、内側にも入りきれないし、外側にもいられないからなのでしょう。


もう一つ感じたのは、オタクという言葉の持つ暴力性です。そこにいる人たちがオタク的であることはみんな判っていると思うんですけど、やはりそこで誰かをオタクと呼ぶ場合はきな臭い香りが漂いますね。静かな湖にでっかい石を投げ込むぐらいには。


考えてみれば、僕がオタクとは何かという問題に捕らえられてしまったのも、オタクという言葉が自分に対して使われた時の、その暴力性に反応してしまったからだと思います。


自分がオタク、オタクと無造作に使うことに、幼稚園生が日本刀を振り回しているような危なっかしさを感じます。これまでそういうことは感じなかったんですけど、その間無造作に誰かをざっくり切っちゃってたかもしれませんね(うわあああ)。取材で現場にいるとけっこう基本的なことに今更ながら気づいたりします。


視点がオタクボーダーからなので、特にこういうことが気になるのか。みんな卒業した問題なのか。いや、これはそんなに簡単に卒業できるとは思えないな。