原子力事故が起こるごとに繰り返されること

先週、茨城県と情報公開のための交渉をしてきました。臨界事故の健康被害について県が持っているにもかかわらずまだ公表されていないデータが幾つかあって、その公表を頼んだわけですが、まあなかなか渋いです。いつもプライバシーという問題が立ちはだかる。これについてはプライバシーが分からないように数量的に処理して欲しいとお願いするんですが、まず手間がかかる。以前同様のデータを出してもらった時には手間がかかると散々いやみを言われました。確かに通常の業務以外に彼らの仕事を増やしているようなものですから、言いたい気持ちはわかります。僕らもクソ忙しい時に飛び込みの仕事が入ってくるとムッとすることがある。そこは黙って聞くしかない。


でも出てきたデータが役立つとうれしいんですよね。


後は原子力政策の面子の問題です。先日も臨界事故直後の約1800人分の自覚症状のデータを出してもらったのですが、県の専門家はあらかじめ「今回の被曝量ではこのような症状は起きませんから事故とは関係ありません」とエクスキューズをつけました。


けれども臨界事故の被曝線量とされるものは推定値に過ぎないんです。そこから考えれば、むしろ目の前の症状を真摯に検討し、そこから被曝影響を見るべきなのに、それからは目を背けようとする。この手の「現実にあったことを、原子力政策の面子や利害によってなかったことにしようとする努力」は散々目の前で見てきました。第1回の健康診断の時には、当時の科技庁の役人が診断会場に張り付いて、「何しに来たんですか。健康影響はないんですよ。帰りなさい」とえんえんとやっていました。自分たちがやると決めた健診なんですけどねえ。


はたから見てどのように矛盾だらけであろうと冷酷に自分の殉ずる権威に従う。ガンダムマ・クベが出てきた時嬉しかったのは、そういう人物類型をまがりなりにも描こうという努力が垣間見えたところですね。そしてその人格の奇妙さが断末魔に見事に噴出した。


原子力事故が起きるごとに、こういう奇妙な現象は繰り返されるでしょうね。


その後、被曝した母を精神科医PTSDの専門家)に連れて行き、診察してもらったら、また「JCO事故による典型的なPTSD」と診断されました。これは今やっている裁判での最も大きな争点の一つになっているんですが、直接診察した専門家は口をそろえて「典型的なPTSD」と診断し、次に必ず「この裁判は間違いなく勝ちますよ」といいます。これで3人目です。ところが、JCOに頼まれたPTSDの権威が、カルテを見ただけで「いやPTSDではない」と言い張るので面倒なことになっております。裁判所にとって権威の意見は重いですからねえ。こういう面倒な話も、やはり原子力事故が起こるごとに繰り返されるでしょう。個人的には、ものすごく貴重な体験をしているなと思います。