オタクとオタクコミュニティー2

僕はこれまでオタクというのは誰になんと言われようとひとりでにオタクになっていくものと漠然と考えていました。しかし実際にオタクコミュニティーの中にいると「この面白い人が面白がっているのはどんな作品なんだろうか」という感じで、独りでは決して見なかっただろうと思われる作品を見るようになっていき、その作品をめぐるオタ話(これが楽しい)に花が咲き、逆にこちらが面白いと思っている物を紹介するようになる、という螺旋状の深化が起こることを経験しました。これはどんなマニアの世界でも共通と思いますが、オタ話が楽しいためについついそれを聞きたくて相手の話している作品を見てしまう、というような倒錯した現象を経験しています。


個人が先かコミュニティーが先かというのは、ニワトリと卵みたいなもので結論が出ようもないわけですが、たとえば浅羽通明は1989年に発表された「おたくの本」(別冊宝島104 町山智浩君の力作)のなかで、コミケについて解説した後、次のように述べています。


「彼らが、「おたく」として活動する真の動機は、おそらく自分が愛好するアニメやらマンガやらSFやらをともに楽しんでいる仲間たちがいるという同類意識にある。劇場映画やライブはむろんのこと、ひとりTVを眺めていてもマンガや読書に没頭していても、彼らはかならずしも孤独ではない。そして、その同類意識は、そのジャンルの専門的知識や裏情報を共有していることで確認しあえる。まるで秘密結社の合言葉のように。」


浅羽はこうした態度を、紀田順一郎の「徒党を組んで本を読む」という言葉で表現しています。実はコミュニティが先(真の動機)なのでは、という示唆として面白いと思いました。(取材の時間なのでこの項続く)