幸せでどこが悪い

相変わらずモンハン2にハマっています。ショウグンギザミというのがわりと簡単に狩れることが分かったので、ギザミスーツを作りレベルアップ中。防御力が上がったので、リオレイアやドドブランゴが楽に狩れるようになりました。


equreanさんご指摘のとうり、いやもう本当に楽しいんですよ。たぶん脳内物質がでまくりなのでしょう。これまで僕は自分はオタクじゃないとか、そもそもオタクとは何なのかとか、いろいろ考えてきたわけですけど、今は「俺はやりたいからやってんだ。オタクだろうと何だろうと好きに呼んでくれ」という心境です。何かにハマっている時というのは、本人は主観的に非常に面白い体験をしていると感じているので、話がその分野に触れると興奮してすぐに大声を出す。たぶんある種の興奮神経が覚醒しっぱなしになっているのでしょう。これはオタクの特徴でもあるわけで、このように考えていくと、オタクとは「非常に幸せな人、あるいは状態」ではないかと思うのです。


これとよくにているなと思うのが、宗教にずっぽりはまっている人の幸福や、洗脳された人の幸福です。密教オタクの人にとっては、あるキャラに激萌えになったり、このようにあからさまにゲームにハマって喜んでいたりするのは、まるで帰依系の宗教信者のようで異様に思えるのでしょう。


そんなわけで「幸せでどこが悪い」と開き直ってみるわけですが、他人に迷惑をかけない形なら、何の問題もないはずです。でもこれで原稿が遅れたりしてはいかんですね。どうも申し訳ありません。


今この状態を体験してみて、実は「オタクという人がいるのではなく、オタクという状態があるのではないか」というのを思いつきました。オタクというのは、人種のことではなく、状態のことではないのか。このテーマは、もう少し考える必要がありそうです。