オタク文化とわたくし

ここのところモンハン熱からゆっくりとさめかかっているせいか、しきりにオタクの未来とかオタクの全体像とかいう事を考えます。


誰でも子供のころはオタクだという竹熊さんの名言どおり、僕もアトムからヤマトの間はアニメに熱中しました。この文化が連綿と引き継がれて今日のオタク文化が形成されているわけで、オタクとは何かといわれたら、この文化にどのようにコミットしているか、それが深いか浅いか、ということになるかと思います。深ければ深いほど濃いと。


18からテレビを持たない生活を10年続けた僕は、そういう意味ではオタク文化のボーダーをさまよったという事になるでしょう(その間もマンガは読んでいたし劇場に怪獣やアニメを見に行ったりもしたわけですが)。そうしたボーダーをさまよう生活はその後も続き、エヴァにはまって激しくコミットしたかと思うと、その後又ほったらかしになって、今回モンハンで又激しくコミットしているわけです。大多数の日本人と同じように、子供のころに共通の文化背景で成長しているわけですから、基礎はあるわけですね。それに何らかのきっかけで火がつくと暴走する。いわばオタクという状態になる。多くのオタクの人は頭の中のオタスイッチがずっと入ったままなんだと思うんですけど、僕の場合オンオフが激しいんだと思います。まあパートタイムオタとでも言いますか。


そういうボーダーから見ているんで、いろんなオタクの人がいてもいいと思えるし、又全体像というような事も気になるのでしょう。


同じボーダーという意味では、諸外国のオタクの人たちの事も気になりますね。この国はオタクにとってはまさしく中央なんですが、周縁部でオタクがどんな活動をしているのかというのは面白いですね。岡田さんが書いていたセバスチャンとか。


ただ、もっと深い層まで降りていくと、それこそ人類が何万年もやってきた精霊信仰とオタク文化の共通性(これは竹熊さんとの対談で触れましたが)みたいなものが出てきて、どちらが周縁部だかわからなくなる。


一方で僕はノンフィクションライターでもあるので、オタクの広がりを客観的な数値で見てみたいとも思うんですけど、これが考えれば考えるほど難しい。いったいオタクの数というのはどうやって数えればいいんでしょうか。今日本で(そして世界で)何人ぐらいいるんでしょう。