オタクの精神的支柱としてのアマチュアリズム

前回のエントリで、オタクについて、ただ単に何かに熱中しているというだけでなく「その人が生きる道みたいなものに昇華している方」「精神的な支柱とは何かがキーかもしれません」という指摘をいただきました。ちょっと記憶に引っかかるところがあって、以前竹熊さん達と作った庵野秀明のインタビュー本を実に久しぶりに読み返してみたら、こういう箇所に出くわしました。


それは庵野がなぜ「トップをねらえ!」の監督を引き受けたかという話なんですが、彼は企画段階では「トップ」を嫌悪していたらしいんですね。もともと庵野のいたガイナックスは前作の「王立宇宙軍」が完成したら会社を解散する予定だった。ところが「王立」の作業中に、当時社長だった岡田斗司夫が次回作として「トップ」の企画を進めていたので、庵野は話が違うと怒るんですね。岡田に言わせると、「王立」を作る事で凄い借金ができてしまう事が目に見えていたからだ、ということなんですが、庵野はそれでもガイナをつぶすべきだと考えていた。「トップ」について、庵野は次のように話しています。


要するに会社としては、監督に誰かを立てて、あとはグロスで下請けに出して安くあげようという考えだったんです。作品ごとどこかに押し付けてしまえと。でもそれって、他の会社がやってるのとまったく同じじゃないですか。(中略)そういうのを覆すために僕達は『王立』をやったんじゃなかったんですか。なのに、そういうやり方に、もう二作目にして成り下がる。それも嫌になって、いったん(ガイナを)離れたんですけれど……


ここまで嫌っていながら、庵野は結局監督を引き受ける事になる。なぜかと聞かれて彼はこう答えています。


上がっていた山賀の二話の脚本を読んで泣いたんですよ、うかつにも(笑)。いや、いいホンでしたね。完成したフィルムもあのホンには勝てなかった。自分の力不足を痛烈に感じましたね。監督やらせてくれと決心したきっかけはそのホンなんですよ。これだけのホンがありながら監督も不在のまま適当に外に出して作ろうとしている。(以上、引用は『パラノ・エヴァンゲリオン』より)


まあ庵野秀明は「オタクバカ一代」みたいな人なので(いま現在もその能力が発揮されている事を期待します)、前回のエントリに対するコメントを読んで、引っかかったのはここだったか、というのを改めて確認したのでした。


そういえば、『監督不行届』では、「オタクとは、愛する心でございます」と書かれていたような記憶が。まあ愛というのを出しちゃうと、話はそこで終わっちゃいますがね。