エヴァQ

みなさまごぶさたしております。エヴァQでございます。今回特に大きな感想はないんですけど、とびしんが『「Q」の感想書かないんですか』とうるさいので、思いついたことを書いておきます。ネタばれ全開ですので、ダメな人は読まないこと。
まず思うのは、相変わらず全力の庵野監督の仕事ぶりで、本当に頭が下がります。
 

で、今回は学園パートがないんでえらい重かったですね。神話世界に放り込まれたようでした。やっぱ緩急は欲しいなと思います。緩がなくて急だけだから今回Qなのか、などとくだらないことを考えてしまいました。こんなことなら「エヴァンゲリオン緩」というのも見てみたいですね。「補完? ま、いいんじゃね」とかとことんゆるいやつね。
それにしても、今回なぜこのようなウツ展開になったんでしょうか。
話は「破」のラストまでもどるわけですけど、全体的な傾向として、シンジ君がオトコなわけですよ、「破」は。シンジ君、っていう感じじゃなくて、シンジさん、って感じでした。いや、シンジ様かな。
それが強烈な違和感として残っていました。だから『となりの801ちゃん4』のなかで「破」を見た801ちゃんが「シンジのくせになまいきだ」と言っているのを見て、「ここに俺がいる」と思ったくらいです。それと対応するように綾波が「ぽかぽか」とか言ってシンジに歩み寄ってくるわけで、僕は「こんなの俺の綾波じゃない」と言っていたわけです。
で、「破」のラスト、シンジは一種の英雄になって使徒から綾波を取り戻すわけですね。エヴァ初号機は神の領域に達してしまう。目から光線を出し、圧倒的な力で使徒を倒します。
目から光線を出す、というのは、ウルトラ世界ではよくあることですけど、エヴァシリーズがそんなことをするのはまったく異例のことです。
なぜ超人は目から光線を出すのか。この当たり前のように思われていることの淵源をたどると、ひとつは「神の視線」というものに行き当たります。
神の視線は、すべての物事を見渡し、白日の下にさらし、裸にします。僕がエホバの証人の少年だったころ、「人間には神が直視できない、そんなことをしたら死んでしまう」と教えられたのをよく覚えています。神のエネルギーがあまりに大きいので、人間は神を見ることすらできない、と考えられていたのです。こんな神からもし直視されてしまったとしたら……。
たとえばモーゼは40日40夜神とともに過ごした後に、その顔がすさまじい輝きにつつまれます(出エジプト34章)。これは神の光の反射だと考えられています。神が光であるという表現は、聖書全般を通して見ることができます。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」(ヨハネ第一1章5節)。その光は同時に、すべてを焼き尽くす火とも考えられています。「私たちのうち、だれが焼き尽くす火に耐えられよう」(イザヤ書33章14節)。古代キリスト教最大の神学者であったオリゲネスは、イエスの言葉として「私に近づくものは火に近づく」という言葉を残しています。洗礼者ヨハネはイエスについて「その方は聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(マタイ3章11節)と述べます。この火は聖なる火であるとともに、悪を焼き尽くす浄化の火でもあります。
そんな属性を持つ「神の視線」を手に入れたことは、エヴァの神化の一つの象徴でした。そして光輪があらわれ、羽が生え、と神化の段階が進んでいきます。
エヴァの神化は、シンジの自我の拡大と平行関係にあります。通常の意識状態ではエヴァは神化しない。なので、シンジは自我を拡大していった。そして英雄になり、エヴァの力を解放し、綾波を助けた。
物語や神話とは元来こういうもので、これは一種の英雄譚であり、それを見たものは深く満足します(たいていの宮崎アニメは英雄譚です)。僕らはたいていしょっぱい現実と対峙していて自我は縮小気味ですから、物語によって自我が少しでも拡大すると爽快感を覚えるのです。「破」の成功はそこにあったと思います。
しかし、その結果シンジは大きな罪を犯すことになります。
それは禁じられた母と子の融合です。それは二重の形で起こります。一つは母の宿る初号機との融合であり、もう一つは同世代の母である綾波との融合です。ここで母子融合、インセストというテーマが現れます。
言うまでもなく、母子のインセストは現代の最大のタブーの一つです。王族や神にしか許されないと言われていた地方もありました。
ここで、オイディプス王の神話を想い出しておきましょう。
オイディプスはテーバイの王ライオスとイオカステの子として生まれますが、ライオスは子供を作るべきではないという神託を受けていました。生まれた子供がライオスを殺すというのです。そこでオイディプスは、キタイロン山中の羊飼いに託されます。しかし成長した後、オイディプスは父と知らずにライオスを殺してしまいます。
そのころテーバイの町では、ヘラから遣わされたスフィンクスが猛威を振るっていました。なぞをかけては、解けない人間を次々と殺していたのです。例の「朝に4本足、昼に2本足、夜に3本足、何だ?」というなぞで、オイディプスは「人間」と答えます。なぞを解かれたスフィンクスは死に、オイディプスはテーバイの王となり、知らずに母イオカステを娶って4人の子供をもうけます。そしてライオス王殺害について調べる途上で、王を殺したのが自分であることに気づきます。実の父を殺し、母を娶っていると知ったオイディプスは絶望し、自ら両目をえぐってテーバイから出て行きます。イオカステは自殺します。
これはフロイトが「エディプス(オイディプス)・コンプレックス」という有名な学説を創案する基礎となった神話なのです。
この神話をめぐって、フロイトの弟子であったC.G.ユングは面白いことを言っています。スフィンクスのなぞについてなのですが、
「エディプスはこの子供らしい単純な、あまりにも易しすぎる謎の持つ不気味な性格を見抜くことに頭を使わなかった。そして謎が解けたと考えたばかりに、悲劇的な運命に落ちる。彼が答えるべきだったのはスフィンクスそのものであって、その虚像と切り結んではならなかったのである」(「空飛ぶ円盤」松代洋一訳 ちくま学芸文庫
この点について訳者の松代は「スフィンクスは、息子を呑みこみ母胎(大地)へ帰らせようとする怖ろしいグレート・マザーの象徴である。エディプスはこの太母の出現そのものに謎と危険を感じるべきであった。彼女の出した謎は子供だましにすぎず、それを解くことで男性的な知力を発揮しえたと考えたエディプスは、すでにこの呑みこむ母のトリックにかかっており、象徴的にインセストにおちいっている」(同上)と解釈しています。スフィンクスが神々の母であるヘラから遣わされていることを考えても、彼女がグレート・マザー、母性の暗黒面の象徴であることは明らかでしょう。
この例えは、そのままエヴァにも当てはまります。
「破」では、シンジは初号機に母が宿っていることも、綾波が母のクローンであることも知りません。「破」のラスト部分のはじまりでは、シンジはかたくなにエヴァに乗ろうとしませんでした。しかし綾波使徒に取り込まれたことに衝撃を受け、綾波を取り戻すために再び立ち上がったのです。エヴァシリーズが次々と倒される中(それは多くの人間がスフィンクスのなぞのまえに倒れていったことを連想させます)、シンジはこの第十使徒という強敵を倒さなければ綾波を助けられないわけです。すなわち彼は、オイディプスのように英雄にならなければならなかった。しかし、このようなドラマの形にはまりこんだ時点で、「謎が解けたと考えたばかりに、悲劇的な運命に落ちる」。確かに彼は難関を乗り越え、綾波を助けました。彼は英雄に、いえ、おそらくはそれ以上の者になりました。エヴァの状態を考えれば、シンジは人神になったと言ってもいいくらいです。しかしその過程で無意識のうちに、呪われた母との結合を果たしてしまっていたのです。
自我が異常に拡大して超自然的な人格になってしまうこと、これを分析心理学では自我肥大(エゴ・インフレーション)と呼んでいます。これは深刻な状態で、ひどい場合になると、自分は何でもできると気が大きくなり、その結果次から次へと新しい考えが浮かぶが、気が散ってひとつのことに集中できなくなります。快楽的活動に熱中するため、大量のお金を使い、多弁になり、一日中喋りまくる。手当たり次第に電話をかけたりメールを送ったりする。これは自我が拡大し、自他の区別がつかなくなっているからで、その結果大切な人間関係を壊したり、大きな借金を背負ってしまったりします。また、自我が拡大しすぎると意識と無意識の境界がなくなり、無意識内容が暴走して精神病に発展する恐れもあります。
無意識の中にある「大いなるもの」の元型。これはマナ人格と呼ばれています。通常は「老賢人」という元型で語られるもので、英雄や超人、人神などはこれに当たります。無意識のマナ人格元型は活性化すると自立的になり、自我意識にネガティブな影響を与え始めます。最悪のケースはこのマナ人格に意識が完全に憑依されることで、ニーチェなんかもそうだと思うのだけれど、パラノイアや妄想型人格障害として、自分は神だ、超人だと言い出すようになります。
心の中にそうした大いなるもののイメージを持つことはむしろ必要なことです。問題なのは自分とその大いなるものを同一視してしまうことなんです。ですから、心のなかに現れるこのような元型を自我と区別して、他者として扱うことが重要になってきます。ユングはこの大いなるものを「自己」と呼んでいますが、自己と自我との望ましい関係を「ちょうど太陽の周りを回る地球のように、その周りを回っているのだ」(『自我と無意識』)というたとえを使って説明しています。地球(自我)のように、太陽(自己)に依存して存在しながらも、同一化しないことが重要だというわけです。このようにして、人は自我肥大を回避し、こころの健康を保ちます。
しかし、シンジには自我肥大が起こってしまいました。
無論シンジそのものは自我肥大を起こすようなタイプではなく、どちらかというと現実的な性格です。親父とか、周りが異常なんです。環境とかストーリー上の要請で自我肥大を起こさせられた、という感じですね。つくづく気の毒な少年です。
もしエヴァが単なる英雄譚なら、それでよかったかもしれません。
けれども、エヴァ庵野監督のライブ感覚による作品だ、というくくりがあります。中核には庵野さんがいます。彼は昭和から平成に生きる50代前半の日本人の普通の男性で、英雄にも超人にもなりまえせん。だから、このエヴァ−シンジ−庵野というラインが壊れていないなら、シンジがこのような状態になった以上、それは庵野監督の意識にも少なからぬ影響を与えたはずなのです。
通常、こうした自我肥大が続いた場合、自己意識を維持することができなくなり人は発狂します。すなわち自己の破滅です。一方、もし頂点まで行ってしまった自我肥大が奇跡的に収まった場合、その人が冷静になって世界を見渡したなら、彼はあらゆる人間関係を壊してしまったことに気づくでしょう。これは自我にとっての世界の破滅です。すなわち、過激な自我肥大は自己の破滅か世界の破滅(これはある意味コインの裏表ですが)を招くのです。
そして、後者の極限の形が、今回のQの冒頭と言えるかもしれません。ある意味で、シンジは自我肥大の結果世界を破滅させてしまったのであり、このような形で禁じられた母子融合に対する罰を与えられたといってもいいでしょう。
しかし僕が「破」のラストを見たときは、ここまでひどい結果になるとは思いませんでした。というのも、カヲルのセリフから考えても、初号機を貫いた槍の効果を見ても、サードインパクトは完全に防がれたのではないかと思ったからです。今回Qでは「ニアサードインパクト」と呼ばれていたので、破滅は不完全な形ではあったと思いますが、それがサードインパクトのきっかけとなったらしく、結局は地球上の大部分が荒廃してしまいました。あるいは庵野監督は、安易に自我肥大を起こし、英雄のように振る舞い、その結果母子融合という罠に落ちたシンジに、重い罰を与えたかったのかもしれません。あるいは、そのような作劇をした自分自身に。そして、それに熱狂したオタクたちに。
まさに「シンジのくせに」だったのです。


14年後、どんな魔法を使ったのかはわかりませんが、シンジはエヴァと分離して再び現れます。アスカ、ミサト、リツコ、そしてサクラらの女性陣、シンジを「自我」と考えれば、分析心理学的には彼女たちは「アニマ」ですが、そのアニマたちは口々に「エヴァにだけは乗るな」と言います。ニアサードインパクトを起こしていることを考えればそれは当然のことですが、シンジにしてみれば「破」以降世界がどう変貌しているかわからない上に、ろくな説明もしてもらえないのですから、何がなんだかわかりません。結局のところシンジは彼女たちの言うことを聞こうとしません。
同世代の母である綾波は、また何も知らない状態に戻っています。
 

今回はカヲルが主役級の働きをします。
カヲルはシンジという自我に対して「影(シャドウ)」に当たります。夢に現れる見知らぬ男を通常「影」と呼びますが、影はしばしば自我の知らないことを知っていて、自我を導きます。
カヲルはピアノを通してシンジと仲良くなります。
シンジは思考能力に恵まれており、料理や楽器もこなすなど感覚能力も抜群に高いのですが(これはおそらく庵野監督の資質なのでしょう)、感情のコントロールが苦手です。シンジの影であるカヲルは、感情のコントロールが得意である上に、将来の可能性を読む直観力に優れています。これもまたシンジの苦手な能力の一つです。
シンジはカヲルにピアノを弾くように仕向けます。つまりシンジの得意な感覚能力を通して、彼の苦手な感情能力を育て、シンジを安定させていきます。
カヲルはシンジとある程度仲良くなり、元気を回復してきた段階で地球がどうなっているかを見せます。自分がニアサードインパクトを起こし、地球を荒廃させてしまったことを知って、シンジはひどいウツ状態になります。まあそりゃそうですよね。しかも自分が唯一助けたと思っていた綾波は別の綾波になっているのです。
さらに彼は、綾波が母親のクローンであったこと、母親が初号機の中に呑み込まれた事を知ります。
シンジは救いを贖罪に、すなわち自分が犯してしまった罪のあがないに求めます。それは自分が世界を破壊してしまったのと同じ方法、すなわちエヴァによる魔術的な世界の救済です。カヲルの「第13号機がロンギヌスの槍とカシウスの槍を手にすれば世界をやり直せる」という言葉にすがるように、シンジは影であるカヲルとともに、エヴァ第13号機に乗り込みます。
エヴァ第13号機は、レイの乗るMark.09とともに、サードインパクトの爆心地であるセントラルドグマへ向かいます。ところが、ドグマの最深部で、リリスとMark.06に刺さる槍を見たカヲルは考え込んでしまいます。というのもそこにあったのは2本ともロンギヌスの槍で、カシウスの槍が見当たらなかったからです。一行はさらにアスカの改2号機とマリの8号機からも妨害されますが、シンジはそれを退けて槍を引き抜こうとします。
カヲルもシンジを止めようとしますが、シンジはそれすら聞こうとしません。それほどシンジの中の罪の意識は重く、贖罪の可能性にすがっていたのでしょう。ついにシンジは2本の槍を引き抜き、第13号機が覚醒しますが、そこで始まったのは世界の救済ではなく、フォースインパクトでした。
アニマの忠告もシャドウの忠告も聞かなくなった自我が、ここで再び自我肥大を引き起こしたということになるでしょう。まさに「Redo」なのです。カヲルは覚醒を止めるため第13号機に自ら槍を刺して死んでいきますが、それでもフォースインパクトの進行は止まらず、8号機がシンジの乗るエントリープラグを強制射出させたことでようやく収束します。
贖罪に失敗しただけでなく、自らの影であるカヲルをその忠告も聞かずに失ってしまったシンジは、さらに深いウツの闇に沈みます。
ラスト、アスカに手を引っ張られて歩くヘロヘロのシンジと、それにとことことついていくレイを見て、超ウツなエンディングではありますが、ひさしぶりに「エヴァらしいなあ」と思いましたね。シンちゃんはやっぱこうだよなあ。うーん落ち着く。
それとこれが連想させるのは、やはりオイディプスですね。実の父を殺し、母を娶ったことを知ったオイディプスは、自ら目をえぐり出してテーバイの町を追放されるのですが、その時やはり娘のアンティゴネーに手を引かれていきます。シンジもオイディプスも激しく現実逃避をした状態で、アニマの手で次なる世界へ導かれていくわけです。


僕は「破」の綾波が好きじゃなかったのですが、今回の黒アヤナミもあまり好きにはなれませんでした。もう少し凛としたところがあるといいんですけどね。カヲルによるとこのアヤナミには魂がないそうで、その影響かもしれません。
そもそも綾波レイというのは、切ない、情けない、自分で自分がどうにもならない存在なのです。碇ゲンドウが自分の都合で勝手に作り上げた、矛盾と欺瞞の塊です。クローンというだけでアイデンティティがややこしいのに、魂を入れたり出したり、リリスと唯のどっち寄りで見ていいかもわからなかったし、宿命的にシンジに惹かれていくけれど、その自分がシンジの母親の遺伝子を持っているというのがまたややこしかった。
しかし、そんなどうしようもない存在でも、この世に「在る」というだけで、自意識や個性や感情が芽生えていく。その変化をこと細かに観察し、考察するのが「綾波の醍醐味」なのです。だから「破」の綾波みたいにわかりやすすぎるのはぜんぜん面白くない。今回は、何で黒なのかなあとか、魂がないってどういうこととか、シンジに「綾波じゃない」といわれた後の自己意識の変化とか、登場時と退場時の違いとか、それを飴玉みたいにしゃぶり続けることができるのが若干の救いですね。


それにしても庵野さんは次どうするつもりなんですかね。
世界を壊滅させ、影であるカヲルまでなくしてしまった。シンちゃんをウツの海にここまで深く沈めてしまったら、復活は簡単じゃないですね。まさかマゾとして覚醒するんじゃないでしょうねえ。監督のお手並み拝見といったところ。


 
秋にG2(講談社)という雑誌で「核という呪い」という長尺のルポを書きました。福島の被曝者のこころの問題を書いたもので、次回は来年4月に続きを発表する予定です。「サッカー批評」ではJリーガーから歌手になった吉見一星さん、「怖い噂」では『視えるんです』の伊藤三巳華さんを書きました。次の「サイゾー」で、五木寛之のインタビューが載る予定です。