核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟

先日、福島の原発事故後に焼身自殺をした渡辺はま子さんの地裁判決が下り、裁判所は自殺と原発事故の因果関係を認め、原告側が勝訴した。画期的な判決であった。


昨年原告の渡辺さんのインタビューを行ったのだがボツになってパソコンの肥やしになっていたので、よい機会と思いこちらに載せることにした。


東京電力は事故被害者の負担を配慮し、控訴をするなどしてこれ以上の負担をご家族など関係者にかけないよう希望する。


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「おたくらはね、いつもそうやって被害者の家族のプライバシーを暴きたてるんだよ」
電話の声はいきなり怒っていた。
この仕事をしていると時々こういうことがある。単に取材依頼の電話をしているだけなのだが、それがいとも簡単に相手の怒りの導火線に火をつけてしまうのだ。何が困るといって、怒っている人間からインタビューを取ることほど難しいことはない。
 2011年7月1日未明、避難先から計画的避難区域にある福島県伊達郡川俣町山木屋の自宅に帰っていた渡辺はま子さん(57)は、ガソリン様の液体をかけて自らに火をつけた。焼身自殺であった。
 なぜ、はま子さんは、焼身自殺という苛烈な手段を選ばなければならなかったのか。

2012年5月18日、夫の幹夫さんは妻の自殺は原発事故が原因であるとして、東電を相手に訴訟を起こした。電話口にいたのは、幹夫さんの担当弁護士である広田次男氏であった。
 おそらくメディア報道の殺到によって、渡辺さんのご家族に迷惑がかかるようなことが起こっていたのだろう。それは僕のような大きな組織に属さないフリーランスのライターにも容易に想像がつくことだった。そしてこの弁護士は情に厚く、正義感が強いので、事情を知りたいという僕を同類だと思い爆発してしまったのだ。同類といえば同類だが、向こうがシャムネコならこちらはノラネコであって、生活の安定度ははなはだしく異なっている。
困ってばかりもいられない。しかたなく、なぜ取材したいと思っているのかを電話で説明することになった。
 1999年のJCO臨界被曝事故で両親が被曝し、母がPTSDになったこと。JCOと交渉したが相手にされず訴訟を起こしたこと。この間、何度か母に自殺未遂があったこと。最高裁まで争ったが、結局「より蓋然性(確からしさ)の高い証明をしなければならない」という裁判所の判断で母のPTSDは認められなかったこと。そんな経緯があり、渡辺さんの死とこの裁判を他人事のようには思えないこと。
 後でわかったことだが、渡辺幹夫さんが裁判の準備をしていた時に、何らかの事情でそれが外部に漏れた。そのころ、渡辺さんの長男が職場の同僚から「母の死をいいことに、金取りにかかっている」と揶揄されたという。おそらくメディアのどこかから提訴の情報が漏れたのだろうが、聞くと次男も職場で同じような非難を浴びていたという。しばらくして、長男はその会社を退職してしまった。
 このようなことがあったため、広田弁護士はメディアに強い警戒感を抱いたのである。
 この話を知って、僕は二つのことを想い出していた。
 一つは、原子力ムラで訴訟を起こすとはどういうことか、ということである。
 後に触れるが、これだけの大きな事故が起きたにもかかわらず、福島の原子力ムラは原子力ムラであることをやめていないように思われる。そのような場所で、ムラの、すなわち東電の意に反し、裁判を起こすと何が起こるか。
 僕の両親が被害に遭い、訴訟を起こした東海村原子力ムラであった。「金がほしいんだろう」といったたぐいの揶揄が飛び交っていることは僕の耳にも入ってきていた。
僕の実家は東海第二原発から5キロも離れていないところにある。自分が育ってきた土地だから友人がたくさんいるし、親戚も東海村に住んでいる。いとこの一人は日本原子力開発機構で仕事をしているし、義弟は日立製作所原発を担当している。叔父は水戸市に住んでいたが、一時は原発の定期検査のために原子炉内で作業する被曝労働者であった。僕はいわば典型的な原子力ムラの地域住民なのである。
地元民だからいろんな噂が耳に入るし、盆暮れに親戚が集まると父母の体調悪化が事故の影響かどうかで議論が起こることもあった。父が死去した時には、激烈な原発反対運動を行っている人から、原発を保守運転している人、原発を作っている人までが葬儀の場で一堂に会してしまい、喪主挨拶をどうしたらいいのか四苦八苦した記憶もある。
そういえばJCO事故の数年後、地域の祭りに行ったら東電の人間がやってきて「JCOは小さい会社だからあんなつまらない事故を起こしたけど、原発は安全ですよ」と言われたこともあった。今思えば笑い話だが、JCO事故以降も、原子力ムラは安全神話の上にあぐらをかいていたのである。おそらくこの原発事故以降も「この新型の原発は安全です」とか「新原子力安全文化を作りましょう」といった新たな安全神話を吹聴する人間が出てくるだろう。「新」をつければ何とかなると思っている、声のでかい奴がたくさんいるのだ。
 いずれにせよ、そんな場所だから揶揄や流言蜚語が飛び交うことは覚悟していた。東海村の村上達也村長をはじめ、中には同情してくれる人もいたが、村の圧倒的多数は「無視」であった。
しかし、「無視」で良かったのだ。より深刻だったのは、裁判を起こす直前に、原告になる人たちに圧力をかけようとあらゆる筋から手が伸びてきたことだった。
 今、善良そうな一人の青年の顔が思い浮かぶ。
彼は東海村郵便局員で、JCO事故以降、激しい腸炎に悩まされていた。原因は事故以外に考えられない、と彼は言っていたし、訴訟への思いも強かった。親族会議で反対されたが、それでも意志は固かった。ところが、そのあと郵便局の先輩筋から「今後も自民党さんにはお世話になるんだから訴訟なんか起こすな」と言われ、「これからも一緒にやっていく人たちだし、職場でのゴタゴタにだけはつなげたくない」と考え直し、原告を降りることになってしまったのだ。
今回渡辺さんの二人の息子さんも原告になったが、トラブルがあったのはまさに同じような提訴直前の時期であった。あるいは同じような圧力がかかったのかもしれない。

もう一つ思ったのは、原子力事故におけるメディアの功罪、ということである。
原子力事故はたいてい前例がないので、メディアの知識には助けられる。僕が母親はPTSDではないかと最初に疑ったのもメディアの記事からだった。そこには健康診断で母を診断した筑波大の先生の「PTSDに近い症状に見える」というコメントが載っていた。結局それが専門医への受診につながり、母の症状は回復に向かった。おそらく福島の事故でも、メディアの情報によって救われた人は多いであろう。
しかし一方でメディアの社会は競争社会である。
提訴前にやはりどこかから父母の提訴が漏れたことがあった。それがある新聞の一面に載った。いわゆるスクープである。
するとその日の早朝、新聞各紙から我が家に電話がかかってきた。たまたまその日は家には母しかいなかった。電話に出るとすべて新聞社からのJCO事故と訴訟の話の確認である。記者からすればいわゆる「特オチ」というやつで、もし自社だけそのニュースが取れなければ担当している自分の責任になってしまい、横並び体質になっている記者クラブ制では最も忌み嫌われる事態に陥る。ノラの僕から見れば「他の取材でもやって、いい記事書きゃあいいじゃねえか」と思うのだが、悪平等がはびこる日本の組織メディアでは、そうもいかないらしい。
ところが母はJCO事故によるPTSDだから、JCOと聞いただけで症状が起こる。そんなのスクープ記事を読めば誰でもわかるはずだから、当然配慮すべきなのだが、日ごろ社会的正義を追及し、事故被害者のこころの被害を思いやっているはずのメディアの人間にそういう配慮はないらしい。ついに母は電話に出られなくなった。
すると恐るべきことに新聞記者たちは家まで乗り込んできてしまったのである。やはり自分たちの社会の掟が優先で、そこに社会的常識の入り込む余地はないらしい。母はパニック障害を起こし、2階の部屋に立てこもった。
おそらく、こうしたメディア側の理屈や競争原理の中で、はま子さんの遺族も翻弄されていったのだろう。

 取材の意図を話すと、電話の口調は一変した。広田弁護士は今取り組んでいることについて説明してくれた。
 訴訟を起こすためには訴状に約30万円分の印紙を貼らなければならない。しかし、訴訟を起こそうというのは原発事故で避難し、仕事も失ってしまった人間であって、困窮を極めている。自分はその免除を訴えているのだが裁判所がウンと言わない。しかし、自分は他にももう一件原発事故避難者の自殺案件を抱えていて、印紙の件に関しては譲れない。
「この件を突破しないと戦えないんだよ」。
つまりは、いまだ裁判以前の段階だったのである。
 母の裁判の結果を問われたので、最終的にPTSDは「より蓋然性の高い証明が必要だ」ということで認められなかった、と答えた、すると広田氏は「そうか。PTSDは難しいよ。医療裁判にしてしまうと難しいんだよな」と経験豊かな弁護士の口調になって言った。確かに、医療裁判になってしまうと、法の正義の問題が、医学上の瑣末な議論にすり替えられる。それは厄介な問題であった。