核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(2)

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福島第一原発の事故以降、原子力事故の引き起こすこころの被害について取材している。原発事故の引き起こす恐怖や、避難のストレスで苦しむ人、命を落とす人が後を絶たない。
 東京新聞原発事故の避難やストレスによる体調悪化で死亡したケースを「原発関連死」と定義し、福島県内を取材、集計したところ789人に上った。しかし南相馬市いわき市は把握していないという。南相馬市の担当者の話から推定してそれを合わせると、福島県内の原発関連の死者は1000人を超えると見られる(2013年3月13日付)。
 先行きの見えない長期の避難生活。それまでの生活の核を失った日々の中で、鬱積するストレス。その中で発生するウツや自殺。これこそ原子力事故のこころの被害と呼ぶべきものであるが、事故以前に誰がこのような事態を予想しえたであろうか。
 かつて、名古屋で開かれた「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」で岡本道明氏(中部電力原子力部門課長)は「放射能の直接的な影響でなくなった方は一人もいらっしゃいません」と発言した。岡本氏の発言の真意がどこにあったかはわからないが、被災者のこころを踏みにじる発言であったことから、批判が噴出した。
 この発言があったのは2012年7月16日のことだったが、その翌日、僕はたまたま飯舘村で酪農を営んでいた長谷川健一さんを、伊達市内の仮設住宅でインタビューしていた。長谷川さんはJAそうま酪農部会のリーダー的存在であったが、酪農部会のメンバーの一人は「原発さえなければ」という言葉を残して自殺していた。また、長谷川さんの母親は避難のストレスから何度も病院に担ぎ込まれていた。長谷川さん自身も、家族同然に育てた牛12頭を屠畜しなければならないところまで追い込まれ「思えばあのときが、俺のストレスのピークだったね」と言った。
 岡本氏のこの発言について触れると、声のトーンが激しくなった。
「なんてことを言うんだ、と思ったね。放射能による直接の死者が出ないからいいのか。事故の被害を受けた当事者が、いったいどんな想いで生きていると思ってるんだ。とんでもないことを言う」
 まさに「想い」が問題なのである。
 原子力ムラでは、原発事故が起こったときの被害想定を行ってきた。しかしそこで考えられてきたのは、被曝による死者や発病者の推定であって、このように人のこころに与える影響は度外視されてきた。
しかし、現実はどうか。
岡本氏の言うように、放射能の直接的な原因で死んだ人がいないというなら、福島での1000人を超える「原発関連死」の原因は、いったい何だったのか。

 言わずもがなのことだが、人はこころを生きている。
 これまで取材してきて強く思うのは、原子力事故は人のこころを壊し、人と人の間を引き裂く、ということであった。
 僕はそれを「核という呪い」と名づけた。