核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(4)

 広田弁護士の事務所は、いわき駅近くにある、赤みがかった色の屋根のかわいらしい平屋建ての家であった。人気の法律事務所であるらしく相談者が次から次へとやってくる。待合室には表彰状が飾ってあり、その多くは廃棄物処理処分施設の建設に反対する住民訴訟のものであった。環境問題、特に産廃問題に詳しい人らしい。
 気になっていたので、印紙問題がどのように解決したのかをまず尋ねた。すると、最高裁まで争ったが、渡辺幹夫さん以外は認められなかった、ということだった。同じように原告となった渡辺さんの三人の子供の分は認められなかったらしい。
 現行法でも生活困窮者には訴訟費用の一時的免除が認められている。これを「訴訟救助」と言うが、福島地裁はそれに基づき、訴訟救助の対象に世帯収入が月額23万円以下という条件をつけた。
「結局最高裁は息子さんらの訴訟救助を認めなかった。最高裁の常套手段です。『最高裁の判断すべき事柄ではない』と言ってね。しかし原発事故の避難者は家を追われ、努力のすべては生活の維持に当てられている。それを考えたら、裁判所は自らの体制自体について根本的な改変を考えるべきです。あまりに一方的な決定で、胸に手を当てて考えてみろ、と言いたい」
そして、これからの訴訟に対する影響が大きいのだ、と言った。たしかに、今後原発事故避難者の訴訟が多く見込まれる状況で、費用の問題は大きなウエイトを占める。僕たちが裁判をやったときには全国からカンパが集まった。それがなければ裁判を続けることはできなかったと思う。現在、これだけ訴訟が多発している状況では、カンパ集めもままならないだろう。
 
なぜ、渡辺はま子さんは、焼身自殺という苛烈な手段を選ばなければならなかったのか。
この点について、かつて二人の精神科医に分析してもらったことがある。

一人は、複雑性PTSDの専門家である末田耕一先生。先生の意見を紹介する前に、複雑性PTSDという聞きなれない用語について説明しておく。
一般のPTSDは、死を予感させるような圧倒的な体験によって通常の記憶と異なる外傷記憶が形成され、それが本人の意思とは無関係に繰り返し侵入してくることにより、症状が形成されるというものだ。
この体験は統合されることを求めているわけだが、体験が圧倒的過ぎて本人の自我はそれを自分の体験の体系の中にうまく統合できない。そこで体験の方が何らかのきっかけを得て(たとえば母の場合は臨界という言葉やJCO,JOCなどの関連語)侵入してくる。
この時ものすごい不安感が起こり、それが症状になる。
阪神大震災地下鉄サリン事件などは、たしかに大災害だったが一度きりのものだった。こうした一過性の限局された体験から生まれるPTSDは、単純型PTSDと呼ばれている。
ところが、このような外傷体験が一過性でなく長期反復的に起こる場合がある。たとえば親による児童虐待のように繰り返し行われるものや、長期にわたる戦争体験などだ。この時患者は、不安症状ではなく、解離症状(健忘や多重人格など、記憶障害が中心となって引き起こされるもの)を中核としたより重篤で多彩な症状を示す。これを単純型PTSDと区別して、複雑性PTSDと呼んでいる。
 はま子さんのケースについて、末田先生が着目したのは、「うつにしては被害妄想が出ている」ということだった。
「『私たちが避難してきた人間だから、他の人から嫌な視線で見られている』『私が田舎人間で服装がおかしいから、みんなが私のことを見る』などという妄想が出ていますね。
教科書を読めばわかりますけど、本来のうつ(いわゆる内因性うつ病)であれば、このような妄想は出ません。むしろ(複雑性PTSDの)解離性の妄想に見えますね。
 もうひとつは、これだけの被曝地帯にいたのに、この人は被曝の恐怖について何も言っていないんですよ。
 本当に怖いことについては、逆に言えない。PTSDには非常によくあることなんです。この全く触れられていない点について、なぜ語られないか、ということを分析する必要がありますね。愚痴の部分すら欠落している。愚痴が言えない、というのは、それだけダメージが大きい、ということではないでしょうか」
 被曝については、はま子さんが本当に気にしていなかったのか、それともあえて口を閉ざしていたのか、ご本人が亡くなってしまった以上なんとも言えなくなってしまった。ただ、これだけの被曝地帯に事故後3ヶ月近くいたわけだから、全く恐怖を感じなかったということは考えにくい。それが言葉に表れていないとすれば、何らかの形でその恐怖を無意識に追いやっていた可能性はある。
 素直に考えれば、それがいわゆる反応性うつ病心因性うつ状態)であれ、末田先生が主張するPTSDに伴うものであれ、抑うつ症状が起こって自殺にいたったことは間違いないだろう。僕が驚いたのはそれが焼身自殺という形を取ったことであった。
 うつの自殺は失敗しにくいといわれている。それは死によって限りなく続くかに見える苦しみからの開放を求めるからである。しかし、なぜ自らの体を焼いてまで死ぬ必要があったのだろうか。
「ひとつは、薬物などでは死ぬことに失敗する可能性があったからでしょうね。しかし、焼身というのは確かに普通の感情状態ではできない。わたしはこの方には『恐怖感の解離』というものを感じますね」
 解離性障害の中核的な症状のひとつに、現実感の喪失がある。離人感、などとも呼ばれるが、フィルターを通してものを見ているように感じたり、自分が外部の傍観者のように感じたりする。極端な現実感の喪失という症状が起こっていて、しかもうつによる自殺への衝動が強ければ、それがこのような死に方に結びつくことも可能ということなのか。まさかこのように説明できるとは思わなかったが。
 末田先生は一貫して、はま子さんには複雑性PTSDによる解離性障害がおこっていたと見ていた。