核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(5)

 もう一人の精神科医が、南相馬の雲雀ケ丘病院で働く堀有伸先生であった。
 堀先生も末田先生と同様に、はま子さんのアパートでの被害妄想体験に着目した。
「この地域の高齢の方の土地との結びつき、一体感というのは、都市部とは全く違います。だからそこから引き剥がされたときのショックの大きさは、ただごとではない。僕らが『みんなの隣組』をやる理由もそこにあります。
 だから、この方にとってアパート暮らしというのは過酷だったと思いますね。そこで一過性の、統合失調症に近い不安が出たのかもしれないですね。一過性ならありうると思います。いずれにせよ、原発事故による避難が引き起こしたものですね。僕の見立てでは、心因反応で因果関係あり、ということになります」
 この堀先生の説明を聞いたとき、何かが僕の記憶をくすぐった。家に帰ってしばらくして思い出したのだが、それは以前読んだ水俣病についての報告であった。


宗像巌は水俣病水俣の人々を「客観的対象」として研究する態度でなく、水俣の人々のなかにはいりこんでゆくことによって、水俣問題の中心点としての宗教性に触れたのである。宗像によると、水俣の人々にとって「制度的な宗教世界」よりもむしろ大切な「見えない宗教世界」が存在し、そこに果たす自然、特に海の役割の重要性は測り知れぬものがあるという。彼は「漁民の日常生活に参加して行くと、これらの人々の心の中では自然の存在がきわめて重要な意味を持つものであることがしだいにわかってくる。……それは人々の魂に深い感動を与える宗教的意味をおびた対象である。……美しい絵画的構成を持った風景は、この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」と述べている。海は不知火海の漁民たちにとって「神的なるものの偏在を感知させる象徴的意味をおびた『聖なるもの』として存在している」のである。
 ところが、その海が汚染され、それは多くの人々に病と死をもたらした。「自然」は死んだのである。             (『宗教と科学の接点』河合隼雄著 岩波書店


 自然、特に海と一体化して生きてきた水俣の漁師たちにとっては、それは単なる自然を超えた「聖なるもの」であったというのだ。その自然が死んでしまった時の彼らのこころの傷は、測り知れないものであったろう。
 僕はそこに福島のこころの被害との深い共通性を感じた。
 非常に興味深かったので、河合の報告の元となっている宗像巌の報告を取り寄せてみた。それは1981年3月に上智大学で行われたシンポジウム「宗教的エネルギーと日本の将来」で行われたものだった。宗像巌は上智大学の教授であった。


 茂道で一番先輩格の老漁師は、チッソ工場の廃液が海中に流入し、拡大しているのを、目のあたりに初めて見たときの驚きを次のように語っていた。
 それは、たまたま、故障した漁船のヤンマー・エンジンを修理するために百間港に出かけたときのことである。水俣周辺の美しい海で生活してきた老漁師は、長年の海の生活で見たことのない黄緑色のドロドロした、悪臭を放つ異物が海面下を流れているのに気づいた。海に深い信頼を寄せ、海自然の持つ自浄力を疑うことのなかった漁師にとって、この奇怪な汚濁流を見たときの衝撃は、今でも忘れられないという。漁民にとっての海は、単なる物的自然を超えたものである。海は漁民の心の中にひとつの世界観、宗教の世界を形成する上で重要な基本的な存在枠であったのである。
 水俣病が発生し、人々が激しい痙攣に襲われ、もだえて狂死して行くのを見て、また、猫、豚、カラス、カモメ、魚介類が次々に死滅して行くのを見て、当然のことながら、人々はこの原因不明の「奇病」発生の中で激しい不安と緊張に襲われた。(中略)
さまざまな生命の源である海自然を存在の母胎として、漁民の心にはいつのまにかひとつの死生観がはぐくまれてきている。海自然とすべての生類との関係は深く、その間には独特の輪廻観が生まれてきている。生命の無限の母胎である海から生まれてきた人間も、この世の生活を終えたあとには、やがて、再びこの美しい自然の海原のなかに回帰し、融合し、一体化して行く。茂道漁民の間では五十年の供養が続けられているが、とぶらいあげの終わった死者の霊魂は自然世界内の霊界に立ち戻って行くのである。(中略)
 ところで、このような「見えない宗教世界」の中に生きる水俣漁民が、まったく突然に、その生活世界の外部から水俣病の襲来を受けたのである。漁民にとっては「聖なるもの」を体現していると感じられていた海が汚染され、自然環境が破壊され、親しいものたちの生命と身体が奪われ犯されたのである。その結果、この漁村の人々の平和な生活は悲惨な苦しみのなかに落とし入れられてしまったのである。
            (『日本人の宗教心』門脇佳吉、鶴見和子編所収、講談社) 


 福島の山村で自然に溶け込んで生活してきたお年寄りたちと、海という自然を「聖なるもの」と感じて生きてきた不知火海の漁民たち。彼らにとって、自らが育ってきた豊かな自然は何にもかえがたいものであったろう。その「結びつき、一体感」は、都市部に住むわれわれには想像もつかないほど深かったのだろう。それを診てきた堀先生は「だからそこから引き剥がされたときのショックの大きさは、ただごとではない」と述べているのである。
 原発事故による、自然の死。
はま子さんにとって、それは「ただごとではない」激しいショックを引き起こしたのではないか。
なぜはま子さんは、避難区域にある自宅で、自らを焼き、土に帰そうと思ったのか。
このように考えてくると、彼女は、母なる自然と再び一体化するように、自らをはぐくんだ自然の中へと身を滅していったように思えてくる。