麻原の顔、ラマナの顔

 このところ、テレビや雑誌の取材で元オウム信者によく会う。先日はひかりの輪の上祐さんに会った。
 僕自身、取材のため2年近くオウム内で体験修行してきたので(上祐さんの説法も聞いた)、知り合いの元信者に会うと同窓会をやっているような、懐かしい気分になる。脱会した人たちはみな麻原の呪縛から逃れるための凄まじい体験をしており、何か憑き物が落ちたような柔和さで話をしてくれる(ちなみに上祐さんのインタビューは「徹底検証 世紀の大誤報 別冊宝島2281」宝島社)。『麻原彰晃を信じる人びと』という本の中にも書いたが、僕は麻原に聖性を感じたことがまったくなかった。僕が聖性を感じ続けたのは、彼らのような信者たちだった。
 いまさらながらなのだが、元オウム信者たちは、どうして麻原のあの顔に聖性を感じることができたのだろう、と思う。僕はオウム内で数限りなく麻原の顔を見たが、傲慢さ、征服欲、攻撃性の強さ、といったものしか感じられなかった。


 三年前ぐらいのことだが、いささか不思議な経験をした。
 その頃、僕の一人息子は高校生だったが、学校には通えず引き篭もっていた。素直で優しい子供なのだが、精神年齢がいささか幼く、クラスメイトにすればそれがうっとうしかったのだろう。いじめまがいの体験をし、学校に行く気力をなくしていた。うつ病のような寝たきりの状態になり、身長は180を越しているのに、体重は50キロを割ってしまった。血圧が保てなくなり、起きていられないのである。
 その頃のことである。
 眠っていて、明け方ふと気がついたら、僕の布団の上に金色に光る人が浮いていた。
 それは初老のおじいさんで、身長は160センチぐらい。和服を着ていて、僕に笑いかけてくるのである。全身が柔らかいが圧倒的な金色の光につつまれている。そして一言も話さないのだが、息子はこれから回復に向かうから、まったく心配することはない、と伝えてくるのだ。
 その顔は、柔和で、慈愛にあふれていて、聖性そのものだった。
 やがて同じようないでたちをしたおばあさんが現れ、寝ている息子の中に何度も出入りして、息子を癒し始めた。
 あまりのことに僕は気を失ってしまったらしい。次に気がついたときにはもう朝になっていた。あるいは夢だったのかもしれないが、夢とはとても思えないようなリアリティーだった。
 その話をすると息子は「先祖の霊じゃないの」と言った。
 その人の言うように息子はその後回復した。高校には二度と行かなかったが、大検を取り、一年浪人して今は大学生をやっている。東京が彼にとっていい刺激になっているらしく、落語のサークルだ、ゲームのサークルだ、次は試験だと、帰郷するなりしゃべり続けている。相変わらずの、うるさい息子に戻った。
 以来、僕は彼らのことを「光の人」と呼んで、時折思い出している。


 分析心理学的に言えば、息子の病という不安な心理状態の中で、しかも睡眠と覚醒の狭間という心的水準が低下した状態での、一種の幻視が起こったのだと考えられる。そこで集合的無意識が選んだのは、自己(セルフ)の元型イメージであり、それが老賢人の幻視という形をとったようだ。僕はこれまで幻視の経験がまったくなかったので、実に印象的な出来事だった。

 
 最近、取材を通して、ヒンドゥー教の聖者ラマナ・マハルシを知った。
 彼は、かの有名なマハトマ・ガンディーと同時代を生きた人だ。1879年に生まれて、1950年に71歳でなくなっている。
 彼の教えも実に興味深いものだが(心理学者のカール・ユングが絶賛している)、それ以上に僕が驚いたのは、写真に残っている彼の顔だった。それが、僕が見た「光の人」にそっくりなのである。
 もちろん、光の人は日本人の姿をし、ラマナはインド人だから、顔のつくりはかなり違う。そっくりなのは、その柔和な笑顔の雰囲気なのだ。

 
 無論ラマナの顔にしても、10代の写真や30代と思われる写真からは聖性は感じられない。そこには必死の男の顔があるだけである。30代と思われる写真は、サッカーの日本代表だったサントス・アレサンドロそっくりだ。
 しかし、頭髪が真っ白になってくるあたりから、ラマナの顔に聖性が現れてくる。
 「聖者は、顔が命」
 多くのキリスト像や仏像がそうであるように、いわば普遍的な聖者のイメージが彼の顔に現れてくるわけだが、なぜこんなことが起こるのか、実に不思議である。ここまでくると、彼が「真我」に座り続けている、という発言も「そうなのかもねえ」と思えてくるのだ。彼の宗教的境地が、彼の顔を変えているのである。

 
 こんなことを書くと、現役のアレフの信者から「そんなの大泉さんの偏見か無意識的な執着の現れですよ」と批判されそうだが、本当にそうなのか。たしかに僕の書く記事はすべて僕の偏見である。しかし、人間は赤ん坊の頃から膨大な数の人間の顔を見、その記憶をストックして、それが自分に危害を与えるかどうか、自分を愛しているのか憎んでいるのか、無意識的に判断している。その能力を、なめてはいけないのではないか。


 誤解があるといけないので付け加えておくが、僕はこの「光の人」現象を「幻視」と考えている。科学的には、まったく無意味な現象である。