核という呪いー南相馬編(2)

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南相馬の若い父親たちは、ちゃんと家族を守れるかどうか、今回試されちゃったんですよね。近藤先生は、そのために引き裂かれた夫婦を、結びつける活動をしているんです」
 堀先生がそう言って紹介してくれた人物がいた。
 よつば保育園副園長・近藤能之先生。通称ヨシユキ先生。
 イケメンである。
 背が高く体はがっしりとしていて、全体的な印象は若いころの闘莉王をやさしくしたような感じだ。
 3月5日、平成24年1月に開園したよつば乳児保育園西町園にお邪魔した。
 出入り口近くに大きな線量計が立っており「0.187μSV/h」という表示があったので少し安心した。この数値なら、福島第一原発から100キロ以上はなれた日立市にある我が家とほとんど変わらない。子供たちのことを考え、よほど徹底的に除染をしたのだろう。
 そのことを近藤先生に伝えると、
「そうですか。でも、これでも線量が高いと批判されることもあるんです」
と、少しさびしそうに言った。
 放射線量の判断が難しいところは、このレベルの線量であっても、誰も「絶対に安全である」とは言えないところにある。0.187マイクロというのは、日立市に住む僕の感覚から言えば少し安心できる数値である。が、原発事故以前の数値は0.045前後であったから、それを考えれば4倍以上になる。さらに、これを年間被曝量に直せば、法令で超えてはならないとされる限度量の1ミリシーベルトを軽く突破してしまう。さらにそれを、大人ではなく乳幼児が浴びることを、どう捉えるのか。
 むろん「ミスター100ミリシーベルト」山下教授からすれば歯牙にもかけない数値であろう。
 裁判所もほぼ同じ判断をする。なぜ僕がそう断言するかというと、JCO事故で被曝した僕の両親は一日のうちに約40ミリシーベルトの被曝をしたが、裁判所は2008年にそれを取るに足らない数値として切り捨てたからである。最高裁まで争ったが判断は変わらなかった。
 一方で、これまでの取材の印象からすると、現場に近い良心的な医師であればあるほど、低線量域の被曝の危険性に警鐘を鳴らすように思われる。
 学生時代から広島、長崎の被爆者の調査をし、原発被曝労働者の診断をしてきた阪南中央病院の村田三郎医師は、それまでの経験から数ミリシーベルトの低線量被曝でも免疫系の異常を引き起こすケースがあると主張している。村田医師が医学的意見書の作成した原発労働者の長尾光明氏は、約5ミリシーベルトの被曝によって多発性骨髄腫を発症したという労災認定を受けている。
 100ミリシーベルトから数ミリシーベルトまで。こうした学者間の見解の不一致は枚挙に暇がない。
国際的に見てもこうした事情は変わらない。たとえば、国連科学委員会は2013年5月31日、福島の原発事故について「健康に悪影響は確認できず、今後も起こるとは予想されない」という報告書を発表した。
政府は除染を進めて避難住民の帰還を促してきたが、除染計画が思うように進まず住民から強い批判を浴びてきた。6月1日付の日本経済新聞は「政府は健康影響がないとした報告を受けて除染などの計画を見直す方針だが、福島県内からは反発が出る可能性がある」としている。政府とすれば、安全であるならそれほど除染に予算を使いたくないというのが本音だろう。一方、自民党時代の原発推進政策に協力し、このような悲惨な目にあった住民からすれば、これほど理不尽な話はない。
一昔前なら国連機関の発表で多くの日本人が納得したのだろうが、ネット社会が進み、IAEAICRPなどの国際機関が原子力産業から出資してもらっているという事情が知れ渡った今では、「ああ、またやっているな」という程度の認識になってしまった。彼らにしたところで、「100ミリシーベルト以下の被曝では健康影響は出ない」と機械的に切り捨てているに過ぎないのだ。要するに、山下教授と同類である。
同様にネットの住民は一人の聞きなれない名前の研究者の報告を知ることになる。
ユーリ・バンダジェフスキー。ベラルーシ・ゴメリ医科大学初代学長。
ベラルーシのゴメリ州はチェルノブイリ原発事故の影響をもっとも強く受けた場所で、16万人以上の住民が避難している。2000年に僕がJCO事故の報告をするためベラルーシの国際学会に行った時も、関係者に「ゴメリの事情を知らない人はもぐりです」と言われ、事情を知らなかったので恥ずかしい思いをした記憶がある。
バンダジェフスキーはセシウム137の人体影響を明らかにするために、被曝死した患者の病理解剖を行い、臓器ごとにどれだけ影響が出ているかを調べた。まったく身もフタもない現地の医師ならではの研究であるが、その結果心臓をはじめとして、腎臓、肝臓、甲状腺などの内分泌臓器にセシウムがたまりやすく、障害が起こることを確認した。福島原発事故については次のようにコメントしている。
「日本の子供がセシウム137で体重キロあたり20−30ベクレルの内部被曝をしていると報道されたが、この事態は大変に深刻である。子供の体に入ったセシウムは心臓に凝縮されて心筋や血管の障害につながる。(全身平均で)1キロ当たり20−30ベクレルの放射能は、体外にあれば大きな危険はないが、心筋細胞はほとんど分裂しないため放射能が蓄積しやすい。子供の心臓の被曝量は全身平均の10倍以上になることがある」
これが現場の見方なのである。
ただでさえ「核物質で汚染されてる」というだけでどす黒い気分になっているというのに、われわれ素人にはどちらの言っている数値が客観的に正しいのか判別しようがない。逆に言えば、どちらの可能性もある、というわけで、それが心理的に効いてくる。人の心はこのようにして呪縛されていく。放射性物質、すなわち核はこのような意味で「呪術的」なのである。

園内はとびぬけて明るい雰囲気だった。これからお昼寝の時間ということだったが、僕たちが入っていくと「ヨシユキせんせーい」と子供たちが集まってくる。僕に挨拶したり笑いかけてきたりする子供も多い。とても開放的で、ひとなつこい。近藤先生の人柄が園児たちにも現れているようだった。
原発事故のあと、南相馬からは小さな子供が次々と消えていった。そうした状況を受けて、多くの保育園関係者が避難を選択する中で、近藤先生は一貫して地元で保育の仕事を続けてきた人である。
事故直後には、絵本とお菓子を持って、園児たちが避難している避難所を自転車で回った。
「ひどいもんでした。大人のこころがダメージを受けていた。子供は大人の気持ちの影響を受けやすいですから、避難所によって違いますが、子供たちの表情はものすごく暗かった。
 とにかくうるさくできないでしょう。子供のいる環境じゃないんです。避難所では子供連れは肩身が狭いんです。お年寄りから『うるさい』と言われるし、親にも『がまんしなさい』と言われ、ストレスになる。子供がかわいそうですから、甘やかしも始まってしまう。赤ちゃん返りも多かった。
 保育という集団の場から離れることによって、親とのコミュニケーションに戻ってしまうんです。集団でいれば、たとえば順番を守るというガマンが必要になる。自分より少し小さい子がいれば面倒を見なければならない。子供同士で主義主張が違えばけんかもする。けんかに勝つ、負ける、怒られる。なぜこんなことになるのか、子供なりに真剣に考えるんです。そして、夢中になって遊ぶ。これが子供の成長につながっていきます。
 この過程で五感が刺激を受けます。体もたっぷり動かします。汗もいっぱいかく。それが生活にリズムを与えるんです。肥満も解消される。
 ところが、避難所で大人と向き合う生活をしていると、しゃべらない子が多くなる。食べ物はジュースやお菓子ばかりで、肥満になる。僕は避難所でゲームがプロみたいにうまい幼児をいっぱい見てきましたね。体を動かさないから新陳代謝が進まない。無表情になって、突然大声を出したり、暴力的、攻撃的になる。
 だから、子供が園に戻ってきて、すごいしゃべるようになったと感謝されることが多いですね。もっと早く戻って来ればよかったって。
 ただ僕は、戻っておいでよ、って一回も言ったことはないんです。戻ってくるなら安心感を作れるように一緒にがんばろう、って言うことはあります」
 しかし、近藤先生は言う。
「それでも子供たちはタフです」
 ふーむ、それは、誰に比べて?