核という呪いー南相馬編(3)


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「男が弱い。父さんたちが圧倒的に弱い。
 避難先で夫と別れて母子で南相馬に帰ってくる。そんな例をいくつも見ました」
 僕はこれまで、それは「核という呪い」の「人と人の間を引き裂く」という性質のためであると思っていた。もちろんそうした側面もあるはずだが、近藤先生には、若い父親たちが歯痒く見えてならなかったようだ。
「とにかく家族を守ろうとしない。昼からパチンコ、酒。仕事を探さない、仕事をしようともしない。そのうち補償金で外で酒飲んで女ができる。父さんにあるまじき行為の連続なんです。
 その上家庭内で暴力を振るいだす。あるいは家族をまったく無視する。家族の問題は山積みでしょう。子供の教育をどうするか。避難所から出て、安全な場所で新しい生活を始めるのか、それとも南相馬に戻るのか。精神的に打撃を受けた祖父母をどうケアするか。ところが、何一つ対峙しようとせずにゴロゴロしている。
 父の権威の失墜なんです。
 だから、お母さんたちが見切りをつけて、別れて南相馬に戻りたいというのはよくわかりますよ。そんな時は、ダメな父親だと早くわかってよかったね、と言います。それに子供が小さいうちなら、ダメな父親よりは新しい父親のほうがいい。
 ライオンと同じなんですよ。この原発事故で、女性の強さが引き立った。
 もちろん父親にしても苛酷な環境なんですよ。そこで『父さんがんばれよ』というワークショップをやったんです」
 南相馬は日本で唯一、市内が5箇所に分断された地域である。
 旧警戒区域(20キロ圏内)、計画的避難区域、特定避難推奨地点、旧緊急時避難準備区域、そして指定外の安全とされる区域。南相馬市内を生活基盤にしているといっても、このどこに自宅や職場、学校や親族、友人たちの家があるかというだけで、判断基準ががらりと変わってくる。非常に難しい地域だ。
「最終的に、避難して新しい土地で生活するのか、それとも現地で生きるのか、という決断をしなければいけない。しかし、どちらにするかを決めるのが難しい地域で、自己判断しかない。そこで、父が試される。
どちらで生きるにしても、大切なのは『どう前向きに生きるのか』ということ。避難して前向きに生きる人もいれば、現地に残って前向きに生きようとする人もいる。
 で、僕らにできるのは、現地で前向きに生きようとする人たちのために、生きられる環境を作り出すことではないかとおもったんです。
 そこで、父さんだけを集めてワークショップをやったんです。今、何かをやらなきゃいけない場面であることはわかっている。けれども、どう動いていいかわからない。これからどうしていくべきか。これを自分の言葉で表現する、というのが重要なんです。自分がやるんだ、という覚悟が必要なんですね。
 当時、除染に関しては行政はまだ決められない状況だった。しかし、子供たちと一緒に現地に残るということは、子供たちを被曝の危険にさらすことです。だから、南相馬に残った若い親たちは子供に対する罪悪感が大きかった。当然、行政がやることを待っていられない。行政がやってくれないなら、自分たちでやろうよ、ということになった。
まずは子供たちが通う園の施設をやりました。行政は入らなかった。ウチの職員や、いろんな人が集まってくれて、コンマ1でも下げるぞ、という気合で除染をした。
そうしたら実際に下がるわけです。保育園はOK。なら次は家だ。じゃあどうやってやるのか。最初のうちは僕らが中心になってやりました。三軒めから、父さんと母さんが主役で、特に父さんですね。父さんの背中を見せるプロジェクト。主役は父さんであり、われわれはそれをできるだけフォローする。これまで約20件の除染サポートをしてきました。土日に1件のペースですかね」
 ネットにアップされた動画でその除染の様子を見たが、近藤先生は先頭に立って奮戦していた。その背中は、言ってみれば南相馬の父親の背中の代表だった。この後ろに、母親や子供たちがついてくるのも無理はない。
 核という呪いは、強烈な「ケガレ」の意識を女性に与える。しかし、母性社会に育ったあいまいな夫は、いつまでも態度を決定しようとしない。ケガレに対峙しようとしない。それを子供を案ずる女性が振り切る、という形で離婚が起きる。これは福島中で、あるいは日本中で起こったことかもしれない。
近藤先生はその「ケガレ」に毅然として対峙した。この時、ケガレからの安心を求めていた女性や子供たちには、それは「ハライ」であると感じられたに違いない。だから、ハライを行う近藤先生は母親や職員、そして子供たちにこれほど慕われるのである。
高圧洗浄機を使い、懸命に除染する近藤先生の姿は凛としていて、まるで「核という呪い」を祓い、「安心」を作り出す神主のように見えた。