オタクイメージの変遷

竹熊インタビューをまとめている時に、学校のレポートを書きたいので話を聞きたいという人がやってきて、まさに「オタクとは何か?」という話をしました。彼と話していていまさらながら思ったのは「オタクイメージが変化している」ということでした。


ここで書くのはあくまでオタクのイメージについてで、オタクの実像ではありません。


そもそも僕がこの問題が気になってしまったのは、自分がオタクと呼ばれることに違和感を持ったからです。最近になってようやく気づいたのですが、自分が持っていたオタクのイメージと、近年の一般的なオタクのイメージの間にかなりのずれが生じているようなのです。


僕の持つオタクのイメージは、当然僕の生活史と関わってきます。今から考えて、僕が初めて「この人はオタクだなあ」と思った人は大学時代にバイク便のバイトで知り合った年上の人で、バイクにもめっぽう詳しかったですが、家に遊びに行くと一面ゴジラ。いい歳してなにやってんのかなあと思いつつ、もちろん僕もゴジラは嫌いではないので(何のかんの言いながら全作見てますね)、その人の家に遊びに行くと、なんだか懐かしい気分になったのを憶えています。彼が編集した名場面集は楽しかった。もちろんこの頃にはオタクという言葉は知りませんでした。


このとき思ったのは「この人たちは集めて好きなものに囲まれて幸せになる人たちだ」ということでした。多分このときの記憶が決定的なのだと思います。僕にはそうしたものを集める習性がないので、自分は好きだけど知識とか蒐集する粘着性とか徹底性がないなあ、と思っていました。たぶん1986,7年の頃だと思います。


その10年後に僕は綾波にはまり、さらに10年経過したわけですが、その間にキャラ萌えするかどうかということが、オタクイメージを語る上で非常に大きなウエイトを占めるようになったわけです。


取材に来た人(22歳男性・自称薄オタ)は僕の事務所にそういうものが一切ないのを面白がっていました。彼はオタクを受験に例えました。オタクとしての多くの資質にかける僕に「五教科で満遍なく得点するタイプのオタクというのはもちろんいます。大泉さんの場合は一芸入試なんです。周りの人はおろか、ガイナックスの人まで引いた大泉さんの綾波萌えにはその価値があります。オタクは引かせたら勝ちですから」と言いました。勝ち負けの問題か、と僕は突っ込みましたが、この世代ではやはり萌えのウエイトが大きいのだなあと思いました。オタク第一世代は、たぶん萌えの一芸入試は認めないのではないでしょうか。


この後、僕が綾波で「妻子を捨てるー」と叫んだいきさつについて細かく説明したのですが、長くなってきたので(つづく)にします。