竹熊インタビューについて

サッカー批評」の消えたサッカー選手を追った連載で、森崎嘉之編(94年度高校選手権得点王、しかし2年でJを去る)を何とか上げ、一息ついていたところ、たけくまメモで竹熊さんの入院を知りました。ブログをはじめてからの竹熊さんは、水を得た魚のように生き生きと動いていた。しかしそれゆえ無理を重ねることもあったのだろうと思います。軽い脳梗塞だそうですが、これをきっかけに体にも気を使われるようになればいいなと思う。そして末永く活躍して欲しいと願っています。とにかく、多くの竹熊ファンと同様、僕にとってもかけがえのない人なので。


「オタクとは何か?」の竹熊さんへのインタビューは幸い好評で、多くの人のコメントを読み元気付けられました。そこで気になったことを一つ。


竹熊さんの発言に「(密教オタクは)突っ込まれるより突っ込む側、つまり常に批評する側にいたいわけ。だから『エヴァ』で庵野さんが、創作者の立場からオタク批判をぶった時に、激烈な反発をかったのはそのせいですよ」というものがあって、僕は非常に本質的なものを感じて「本質的な発言ですね」と返しています。けれども、これを読んだ人の中には、少なからず「違和感」を覚えて人がいるようです。ところが、その「違和感」がどういうものなのか、というのが、今ひとつよく分からない。


たしかに、エヴァが激烈な反発を買った理由の一つが、オタク批判だったということはあると思う。しかし多分それだけじゃないはずで、それこそ作品そのもののあり方に対する批判とか、さまざまな要素があったと思います。テレビ版の最終話を見たときには僕にも「裏切られた」という気持ちが強かった。ただ共感がそれをはるかに凌駕していました。


最近ガンダムシリーズをずっと見ていて思うこと。ひょっとして多くの人たちが感じている「違和感」というのは、その人たちがガンダムを経験することで培った何かと関わったいるのではないだろうか(まったくの勘ですが)。ガンダムシリーズを見続けた人間からすると、エヴァのここら辺はどうしても問題に感じる、とかいうような。僕はこのとおりのガンダム初心者ですし、竹熊さんもガンダムは抜けていると言っていたので、案外ここら辺が僕と竹熊さんの共通の盲点になっているのではないかと感じています。


そんなわけで、今ひとつわかってない大泉に手助けをお願いいたします。