What is OTAKU? ーオタクとは何か 第19回オタクの恋

再びご無沙汰でした。連載原稿や飛び込みの締め切りの合間に書いていたらいつの間にかこんなに時間がたってしまいました。
それから国立さんアドヴァイスありがとうございました。設定変えてみました。
では。

                       1
 実は僕の場合極めて珍しいことなのだが、この文章は締切日が決まっていないのに書き出されている。なぜかというと目の前で非常に興味深いことが起きており、にもかかわらずこのまま放っておいたら僕のヤクザな記憶力から考えて事の細部はきれいさっぱり忘れてしまうだろうと思えるからである。
 何が起こっているのかといえば、オタクの恋である。しかも三次元での、つまりは現実の恋である。こういうのを身近なオタクたちは「リアルが充実している」略して「リア充」という。
 事の発端は、Sさんというひとりの女子高生がアルバイトとして店に入ってきたことだった。15歳。去年までは中学生だ。際立って美人というわけではないが、それなりにかわいい。
 この歳にして彼女が腐女子だとわかったのは、店に入ってすぐのことである。休み時間に同じ時期に入った男子の高校生とある作品をめぐって誰が「受け」で誰が「攻め」であるかを激論していたからである。あまりおおっぴらにやっているので、少し遠慮するようにと言ったくらいである。
80年代の半ば、僕がまだ学生だったころ、腐女子のはしりの女の子としばらく付き合っていたことがあった。彼女は目鼻立ちのはっきりしたとてもきれいな女の子だったが、車田正美宮下あきらについて楽しそうに話しながら『この趣味についてはふつうの人には絶対知られたくない』と言っていた。時代は進んだものである。
 店に入ってきたSさんはさばけた性格らしく、何を聞いても答えてくれるし、時にはウイットの利いた答えが返ってくる。こちらとしては腐女子に話が聞けるチャンスというのはめったにないし、店の後輩でもあるので、疑問に思ったことは極力聞くことにした。
鋼の錬金術師』と『銀魂』を通過して腐女子になった、という経歴はこの時代においては標準的だろう。現在はまっているのは『頭文字D』。なぜ『頭文字D』なの、というのは誰もが疑問に思うところだが、事実彼女はこの作品については「詳しすぎてすみません」というくらい事細かに説明してくれる。オタク系の女の子がどうしてこういう車の話で妄想をたくましくできるのかというのは僕の思考範囲の埒外にあるが、『聖星矢』の昔からこの人たちは僕の想像をはるかに超えたところで生きているので、それはよしとしよう。いずれにせよ彼女は、四六時中カップリングを考えているという点からしても、まごうかたなき腐女子だった。
この彼女に、T君が惚れた。
ことが恋愛だけにこの男の外見について説明しなければならない、というだけでまったく気が重い。何で俺がオタク男の外見なんぞを描写しなければならないのだ、という気持ちがむらむらと湧いてくるからだ。実にいまいましい。なのでできるだけ簡単にたとえを使うが、彼は『Hunter&Hunter』に出てくるボマーというキャラクターにとてもよく似ている。そのボマーをすこしダサくした感じである。背がひょろりと高くて、ちょっとあごのしゃくれた顔があって、そこに腰痛持ちのコヨーテみたいな人なつっこい目がついている。ああいかん、比喩まで使ってしまった。
この連載で僕はT君を「絵に描いたようなオタク」として書いてきた。一晩中起きてアニメを見、ネットを巡回し、ゲームをやり、朝9時に眠って午後4時に起きる。それから夕方6時の店の勤務の出てくるというのが彼のライフスタイルだ。『To Heart 2』のピンクのセーラー服でコスプレをしたり、『らきすた』のパロディ4コマで毎回のようにコミケに参加したり、ネットゲームでは女性キャラとして性行為までこなすといういまどきのオタクである。
なぜ彼がこのような人間になったのかその全貌は分かっていないが、今分かっているのは彼の姉が腐女子であり、中学生の妹が腐女子化しているという点である。つまり彼は姉に英才教育を施されて王道を歩むオタクエリートであり、そのせいかBLにも滅法くわしいのである。
彼らの関係が盛り上がり始めたのはこのBLが原因である。というのも、店のカウンターで接客や作業をしているにもかかわらず、二人はしばしばカップリングやBLの話が止まらなくなってしまい、好きなテーマだとどのような状況であろうと話をやめないというオタクの特性を丸出しにして、他の店員から白い目で見られるようになったからである。しかし、恋に狂いはじめたT君は「店で白い目で見られるのは慣れてますから」と全く取り合わない。前に勤めていたネットカフェでも、店長からさんざん注意されても自分の性質は直らなかったからというのである。
困ったのは僕である。わがレンタル部には「返却」という作業があり、つまりは返ってきたビデオやDVDを元の棚に戻さなければならないわけで、レンタル屋にとっては必然の作業なのであるが、この男はこの仕事を全くしなくなってしまったのである。返却は個人作業であるうえに、返却に行くと販売部門のSさんのいるレジから離れてしまうので、いずれにしても話ができなくなってしまうというのがその理由である。しかし社会人としてその理由どうなのよ。おかげで僕はこの男の代わりに何度も長い返却の旅に出なければならなかったのである。
極めて迷惑な恋愛ではあるが、一方僕は取材者としてオタクの恋愛がどのように進行するかという経過を見届けなければならない。この迷惑をかけられているという点からして、いざという時に社会性が欠如してしまうオタクの恋愛の特徴といえるかもしれないのである。だとすれば、この恋愛のオタク性をとことん引き出さねばならないではないか。そんなわけで僕は『背に腹はかえられねえ』と思いつつ、不機嫌な表情でT君の代わりに返却の仕事をやっていたのである。
返却の他にも、T君が彼女にこだわるあまりにこちらが苦言を呈さねばならない場合が多々あった。あるときには彼は素直に謝ったが、時には目がギラリと光って『俺の邪魔をしないでくれ』と無言で伝えてくることもあった。おお、ネットでは女性キャラで性行為までこなすくせに、こういう時な見事なまでにオスになるな、と僕は妙なところで感心した。
そのうちふたりは一緒にちょくちょく店外に出かけるようになった。はじめは映画。他人の恋愛なのでよく憶えていないが、確か『レッドクリフ』だったと思う。何を考えてオタクとやおいの二人組が『レッドクリフ』を見に行くのかは謎だが、この後店でCDを拭きながらT君が語るには、チェックのミニスカートにニーソックスという彼女のいでたちはとてもかわいらしかったそうである。
「それでですね大泉さん、スタバってわかります」
「俺をナメてんのか。スタバくらい知ってるよ」
「いや、俺も知らなかったからさ、知らないかもしれないと思って」
「そんでスタバがどうにかしたの」
「まったくあの子は、スタバのソファに深く座るもんだから、パンツが見えそうになるんですよ」
 ああそうかよ。
彼女は映画を見ながらはじめカップリングについて考えていたらしいが、そのうち話が見えなくなってしまったらしい。T君はT君で、何を思ったのか
孔明かっこよかったなあ。俺も孔明みたいになりたいですよ」
と述べた。そんなの無理に決まってるだろうが。
もう一つ印象的だったのが、この時T君の飲んでいたジュースを彼女が欲しがったので、少しあげた時のT君の感想である。
「いや、Sさんは気にしてなかったと思うんですけど、俺が勝手に『間接キスだなあ』と思っただけなんですけどね」
チェックのミニスカートといい、この出来事といい、T君にとっては「惚れてまうやろー」な状況であり、脳みそがピンク色になるのに十分な事態であったようだ。なにせT君という男は、高校の時好きになった女の子に告ったところ、翌日には携帯メールのアドレスを変えられていたという経験を持つ男なのだ。あるとき、たまたまキスの話題になったら、一言、
「キスなんて、イヌとしかしたことねえよ」
と言った男なのである。
 この日のデートを振り返ったT君は最後に、
「彼女は高校生なのにオヤジが入ってるんですよ。トイレのことを『べんじょ』と言うのはやめて欲しいです」
と言った。

                     2
 この時、僕にとっても判断が難しかったのは、いったいこの娘がどのような心境でT君と映画を見に行ったりしていたかということだった。T君は彼女に「おにいちゃん」と呼んでもらって喜んだりしていたらしいが、文字どおり兄弟のような気持ちで付き合っていたのか、それとも恋愛関係になる気があるのかが今ひとつはっきりつかめない。もともと彼女は去年まで中学生だし、T君は23歳だから歳の差は8歳ある。もちろんT君はオタクだからできれば中学生の方がもっと良いとか言い出すに決まっているが、彼女の方はこの8歳の歳の差をどう見ているのかもよくわからなかった。
そのうちふたりは池袋に行くことになった。夏の日のアリが砂糖の匂いに群がるように、腐女子は池袋の乙女ロードというところの魔力に逆らえないらしい。
店に戻ってきたT君は、乙女ロードの一角に『まんだらけ』があり、その地下がいかに広くて腐女子向け同人誌で充実していたかを語った。Sさんは非常に興奮し、なんと四万円分も同人誌を購入したというのである。しかし彼女はまだ高校生だから18禁の同人誌をおおっぴらに買うことができない。そこでその同人誌の山を持ってレジに並ぶのは当然のようにT君の仕事になった。腐女子ばかりが並ぶそのレジへの長く曲がりくねった道に並ぶのは、現視研のクッチーのような恥知らずの性格を持つこの男にしても、かなりきつかったという。
DVDを拭きながらこのような話をしていると、当のSさんが寄ってきた。我々が『まんだらけ』の話をしていると知った彼女は、
「ああ、あたしがラリったところですね」
と言った。彼女がそこでどのような状態に陥ったかを示す、極めて端的な表現であった。なるほど、酒もタバコもクスリもやらないオタクは、このようにしてトリップ可能なのか。
 店にいる二人はとても仲がよさそうで、頼もしいオスのチンパンジーと、その目をじっとみつめる若いメスチンパンジーみたいな感じになってきた。こうなればチンプの世界では交尾可能である。T君もすっかりその気になっているらしく、周囲の人間に「告る」と言い出し始めた。僕は漠然と、まあうまく行くといいなあ、ぐらいに思っていた。非常に面白かったのは店の女性陣の反応で、みな一様に「まだ早い」と言うのである。そんなものなのか。
 T君にはそのような女性陣の意見も無に等しいようで、完全に収まりがつかなくなっていた。ただ一つ悩んでいたのはコミケのことで、T君は次のコミケでSさんに売り子をしてもらう約束をしていた。しかも長門のコスプレをしてである。T君はそれをものすごく楽しみにしていたのだ。だが、もし告って失敗すれば、二人の関係は気まずいものになり、この約束も駄目になってしまうかもしれない。
 しかしT君はよほどの手ごたえを得ているようで、コミケが終わるまで待つことを選ぼうともしなかった。妙に人なつっこい目をくりくりさせながら、
「確かめないと、彼女がどう思ってるのか気になって、頭がおかしくなりそうですよ」
と言った。けっこう、実に男らしい、と僕は思った。
 やがて、今度ふたりでアキバに行くときに告白する、ということになった。決行の日の二、三日前、T君はどこかの店で髪形をどこぞのアイドル風にかっこよく決めてきた。それが何だか僕にはとても不思議な感じだった。たしかにかっこよくはなっているのだが、なんと言うか、見慣れたお笑い芸人がイケメンのメイクをしているみたいなのである。それキャラから浮いてるよ、と思わず言いたくなったが、言えるような雰囲気ではなかった。おそらく、恋愛の真っ最中で、頭の中では限りなく二枚目になっているのだろう。脳内麻薬と男性ホルモンが出まくっていたのかもしれない。
 彼女が同じように恋愛状態になっていれば、これは効果があるだろう。しかしそうでない場合、彼女の目にこの男はどう映るのだろう。
 そして、あっという間に決行の日がやってきた。僕は他の取材で忙しく、その日、T君と連絡を取ることができなかった。
 決行の日から二日後。
いつものように店に行くと、控え室にT君が座っていた。彼はあらゆる表情が剥ぎ取られたような、おそろしくどんよりした顔をしていた。

                      3

 Sさんには恋愛感情はまったくなく、ただ話が面白かったのでT君と行動をともにしていただけ、ということが判明したのが、決行のもたらした唯一の果実だった。もっとも面白いというのは、十分恋愛のトリガーとして成り立つのだから、長期間友人として付き合っていたらその後どうなったのかはわからない。この点で「まだ早い」という店の女性陣の判断は決定的に正しかったのだ。
 失恋して帰ってきて、深夜、店のオタクたちは彼とのカラオケに付き合ったそうである。まったくオタクは優しい。
 そのうちにT君は『非モテサイト』というものにはまりだした。文字通りもてない奴らが集まっているサイトで、彼にすれば失恋の鬱憤晴らしには最適なのだろう。回復し始めたころには、
「『おまえら経験したことのある体位を書いてみろ、経験のないやつは炭酸飲料の名前でも書いておけ』っていうのがあって、見るともうずらっと炭酸飲料ばっかりですよ」
と嬉しそうに教えてくれるようになった。


 オタクの恋を目の当たりにして、僕は大きく二つのことを感じた。
 一つは男性オタクが交際相手に女性オタクを選ぶ傾向、つまり、オタカップルやオタク婚への欲求の強さである。
 相手がオタクであれば、なんといっても共通の話題がたくさんあるし、デートの場所で頭を悩ませることもない。また、相手の趣味を認める代わりに、自分の趣味も認めてもらいやすい。僕たちの世代のオタクの最大の悩みは「女を取るかオタクを取るか」で、彼女の嫌がる大量のオタグッズとの別れを覚悟しなければならなかったわけだが、相手がオタクであればそんなことで悩む必要はないのである。それはT君が「相手の女の子がオタクでさえあれば、後はそれほど贅沢は言いませんよ」と言っていたことでもわかる。彼にとっては、相手がオタクであることが、恋愛の必要条件なのだ。
 問題は、オタク女性から見て、オタクの男性が恋愛の対象としてどうか、という点である。この点についてはこれからの課題ということになるのだろうが、おそらく落ち着くところは「オタクだろうと非オタクだろうと、男前ならばよい」というあたりか。これまでみてきたように、オタクとやおいとの関係がある種シンメトリックなものであるなら、やおい趣味を否定しないと言う点で、かっこいいオタク男には人気が集まるのかもしれない。
 もう一つのポイントは、オタクの保守性というものがどのように養われるかということで、これはその後のT君の行動とかかわっている。
 というのも、この一件後、彼はカラオケで非アニソン、特にEXILEGReeeeN、JUJUなんかを歌っている友達に対して「けっ、モテ系の歌なんか歌いやがって」と露骨に腹を立てるようになったからである。みんな歌いたい歌を歌えばいいじゃないのと思うわけだが、どうにも耐えられないらしい。
「結局ひねくれてるんですよ、我々は。ああいう歌は彼女がいることが前提で作られてますからね。ハートブレイクの俺に配慮しやがれっていうんですよ」
そんなわけで、あるときはテンションが下がりまくり、あるときは帰ってしまったし、あるときはそういう展開が予想されるだけで参加しなかった。こういう傾向は以前からあったのだろうが、それがこの一件後強まったともいえる。
 なぜオタクはアニソンにこだわるのか。アニソンも楽しいけど、その外にも限りない音楽世界が広がっているわけだし、その双方を行き来した方がより豊かな実りがあるのではないか。無意識のうちにボーダーを作ってしまうことは、自分の世界をせばめることになりはしないか。僕はそう思ってきたし、ブログでそうしたオタクの保守性を批判したりしてきたわけだが、今回ちょっと考え込まされた。
 僕自身もモテる青春からは遥か遠くで生きてきた。だから「非モテ」にはどうしても同情的になる。オタクゆえの恋愛経験の少なさが不器用さや客観性のなさを生み、それが失恋を生み、結果、自分を癒してくれるアニソンの世界に引きこもる。そのうち我慢できないような相手が出てきて、また現実の恋愛に立ち向かうわけだが、同じようなサイクルを描いて元に戻る。この繰り返し。その状態で、ふつうの女の子が「ステキ」というような「モテ系」の歌や、それを歌う人間に対する憎しみが出てくる。今回の取材でこういうサイクルの存在に初めて気づいたわけだが、その心の動きを理解してしまうと、アニソン以外認めないというオタクのこだわりを簡単には否定できない自分に気づいたのだ。
 いずれにせよ、オタクの保守性が築き上げられるサイクルを見ることができたのは収穫だった。リアルの充実を目指して外部に向かうが、そのたびに跳ね返され内側にこもっていく。それでもあきらめずに外に向かっていくか、あきらめて内側にこもる日々を続けるかで、そのオタクの個性も変わってくるだろう。
 ところでその後のT君はどうなったかというと、最近はかなりの回復をみせ、男友達と映画のプリキュアを見に行ってボロボロ泣いたり、かと思うと新たなリア充めざして新車を購入したりして好調である。この調子だとまた新たな標的を見つけて果敢にチャレンジするだろう。もともと、女の子とデートはおろか映画にすら行ったことのなかった男だったのである。今回の恋愛から彼はさまざまなことを学び、とりあえず男性としての経験値を上げた。次の恋愛に成功するかどうかは、妙に高望みなところもあるのであまり楽観的にはなれないが、彼の人格は少しずつ成熟しているようである。というかそう希望。