みなと店モンハン部の壊滅(2)―オタクとは何か・特別編

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そのころおれたちの狩りの現場は、コンビニの駐車場の時期を脱し、近所のファミレス期を経由して、牛丼の「すき屋」になっていた。ファミレスは場所は悪くないのだが、田舎のファミレスなので午前2時で閉まってしまい、朝の4時5時ときには7時8時まで狩り狂うおれたちの需要には合わないことが分かったのである。つまり24時間営業の店がいいのであり、24時間営業の居酒屋なんかがあればおれとしては理想的なのであるが、田舎の港町にあるこのショップの近辺で24時間やっている店といったら「すき家」しかなかったのである。
深夜零時半ごろ、あるものは徒歩で、またあるものはチャリで、またあるものは車で、といった具合にすき家に集まってくる。なんといっても午後6時から6時間以上接客やDVD、CDの返却などを行ってきた後であるから、おれたちの体は極度の空腹と疲労の状態になっており、のどはからからである。
そして、このような状態で飲む一杯目のビールというものは、これはもはやこの世の液体とは思われないほどの天上的なうまさなのである。ぐきゅぐきゅぐきゅっと飲み干した後は、わけもなくク―――ッとか、カ―――ッ、とか、ウギョ―――ッ、とか、ゥメ―――ッとか唸っているのである。そしてわれを取り戻してから、自分は今葛城ミサトになっていた、ということに気づき「やっぱ人生この時のために生きてるようなもんよね」と言ってみるのである。
しかし、一人の人間にこれだけの激甚なる変化をもたらしている液体はといえば、すき家にある唯一のアルコール飲料アサヒスーパードライ生中ビン、というものに過ぎないのである。
小学校4年の遠足の時に、乗り物酔いする子供であったおれはその時もバスのなかでうっすらと気持ちが悪かったのだが、その様子を見ていた「バチコウ」というあだ名の担任がおれにこっちにこいと言い、バチコウはジャケットの胸ポケットからウイスキーのポケットビンを取り出すとおれの口にあてがってぐいと飲ませたのである。おれは二口ほどゴクゴクと飲んでから少しむせたが、しばらくすると世界がばんやりかすんでくると同時にバカに楽しい気分になり、車酔いなどどこかにすっ飛んでしまったのだ。教育委員会やバカPTAがうるさい現在の小学校では大問題になったかもしれない。それいらい家族や親族の旅行などで車で遠出をするときには、ニッカウイスキーの大瓶を抱えて車に乗るという異常な小学生になり、あまりにいい匂いをさせているので運転していた叔父などが、「みつなり俺にもちょっとくれよ」などと言うという「飲酒運転促進少年」というものになっていたのである。
このように非常に早い時期に酒飲みとしてのスタートを切ったおれは、食事というものに対して「あらゆる食い物はおれの酒のサカナである」という態度をかたくなに貫き通してきたのである。
そんなおれにとっては、牛丼屋といえどもやはり酒のサカナの宝庫なのだ。
しかも、大学生のとき2年間バイトで吉野家中大多摩店の店長代理をしていたおれは牛丼屋事情に詳しく、すき家という店が数ある牛丼屋の中でもきわめてサイドメニューが多い、ということも熟知しているのである。おそらくこの世の中で「食べラー・メンマ」や「じゃがスティック」や「高菜明太マヨ」をサカナに酒が飲める牛丼屋はすき家だけであろう。
そしておれにとっては牛丼本体そのものも、立派な酒のサカナなのである。
最近になって、自分の嗜好についてふと気付いたことがある。
それは、とあるカフェレストランの前であったが、そこにはずらりとランチのパスタメニューが並んでいた。しかしおれは一瞬も考えずに「スパゲティカルボナーラ卵黄のせ」というものを選択していたのである。
その瞬間、「おれはなぜ一瞬も悩まないのであろうか」と自分に対してきわめて懐疑的な気持ちになったのである。こんなに悩まないなんて、まるでバカのようではないか。そしてハッと気がついたのだが、40年以上生きてきてはじめて分かったことに、おれは実に「肉とタマゴと炭水化物」というものに目がなかったのである。
たとえばラーメン屋のトッピング、これも一瞬も迷わず「味玉」あるいは「半熟ゆで卵」なのである。これが載ったラーメンは、チャーシューとあいまって、おれにとっては「完全な食料」なのである。さらにライスを加えてラーメンライスにすれば、それはもう完全な「聖なる食料」となってしまうのである。
蕎麦屋でランチを食べるときは、これも一瞬も悩まず「カツ丼セット、冷たいそばで」になってしまうのである。アツアツのカツ丼をふっほふっほとほお張りながら、少し味に飽きてきたあたりで冷たいそばをずずっとひとすすり、その禅味あふれる味わいで舌を一新すると、カツ丼なんか2杯でも3杯でもいけるような気分になってくるのである。これらはすべて、肉とタマゴと炭水化物の織り成すハーモニーなのだ。
そして考えてみれば、おれは魚卵にも目がないのであった。筋子イクラは大好物でいくらでもめしが食えてしまうし、しゃけ・イクラの魚類親子丼も大好きなのである。そうなってくると、「肉とタマゴと炭水化物」には、ギョニクやギョランも含まれることになってくるのである。
このように「肉とタマゴと炭水化物」に目がないおれにとって、すき家には実に真ん中直球どストライクのメニューがあるのである。ここ数年はメニューも見ずにこれしか頼んでいないのである。それは何かというと「ねぎ玉牛丼並」というものなのである。
おれは本当にこれが好きで、


仕事終え
みんなで狩りに出る前の
ねぎ玉牛丼並のうまさよ


という歌まで詠んでしまったぐらいなのである。大盛を頼みたいのだが、ビールのために少し腹を開けておかないといけないので、並で我慢しているのだ。
で、ビールを飲みながらおしんこや冷やっこなどのサイドメニューをつつき、ひとさまの悪口などをさんざん言い合った後に、おれは2本目のビールと共にこいつを酒のサカナにするのである。
おれはベニショウガも大好きなので、「大泉さん、そんなに入れて大丈夫なんですか」と言われてしまうほどどんぶりの両側から中央に向かってベニショウガを盛り上げていき、その結果赤い山が二つできることになる。今、どんぶりの上は肉、たまねぎ、そして青ねぎにベニショウガと、おれの好物がうなるように盛り上がり、はちきれんばかりである。そこで「ハッ」と一瞬われを取り戻し、慎重にどんぶりの中央にくぼみを作るのである。もちろん、この日の主賓である生タマゴ様がおさまる席を作っているのである。ある日おれはこの作業を怠ってしまい、具材で盛り上がるどんぶりの上にタマゴを割り落としたところ、生タマゴ様はどんぶり山脈の稜線をつるつると滑落していき、テーブルの上に“ぺちゃり”と落ちてしまったのだ。われながら取り返しのつかない大失態であった。
タマゴを割り、生タマゴ様がどんぶりの中央の位置におさまったら儀式は終了である。あとはコチジャンダレの風味を楽しみながら、タマゴ、肉、たまねぎに青ねぎ、そしてベニショウガにめしが織りなす華麗なハーモニーにからだを震わせながら、ガッツンガッツン食い進んでいく。そして時には一息入れて、ビールを飲んでプハーッとするのである。
2本のビールと共にこれらの食材がおれの目の前から消えるまでに、おそらく20分もかかっていないであろう。ねぎ玉牛丼並を腹に入れて空腹を満たしたおれは、すでに新たな気分になっている。そしてかばんの中からおもむろに3DSを取り出すのである。
以降、ぐいぐいとビールを飲み進んでほろ酔いになりつつ、モンスターとの闘争に明け暮れるみなと店モンハン部の夜は、このようにしてにぎやかにふけていくのであった。