「マンガ、神話、宗教−エヴァンゲリオンという物語」

「マンガ、神話、宗教−エヴァンゲリオンという物語」という文章を「宗教と現代がわかる本2015」(平凡社)に書きました。エヴァンゲリオンをひとつの神話として見るという視点を手がかりに、マンガ、アニメ、ゲームと神話、宗教の関係を考察したものです。
 ただ残念なことに紙幅の関係で一節分丸々削らねばならなくなりましたので、参考のためこちらに置いておこうと思います。本来は今発表されている最終節5の前にこの節が入ります。



              5
 一時ネット上で、エヴァンゲリオンと「バナナ型神話」についての関係が、熱心に議論されたことがある、
 「バナナ型神話」は死の起源を説く有名な神話の一つである。
 いわゆる「南方系」と呼ばれる神話で、バナナがキーワードになることから「金枝論」のフレーザーによって命名された。例えば、インドネシアのポソ族の神話では、人間は神が与えるバナナを食べて生活していたが、ある日、石が与えられたので神に対して文句を言った。これに対して神が「石を受け取っていれば人間の命は石のように長く続くはずだったのに、バナナを望んだために、人間の命は今後バナナのように短く朽ち果てる」と言った。それで死が生じるようになった、というものである。
 実にシンプルで味わい深い神話だが、これだけなら、いったいエヴァンゲリオンと何の関係があるのか、さっぱりわからない。
 ところが、2003年に発表されたシミュレーションゲームエヴァンゲリオン2」(バンダイ)の中で、授業中に教師がバナナ型神話について触れたさい、綾波が動揺して倒れるという事件が発生するのである。
 設定によれば、綾波レイにはリリスの魂が宿らされている。倒れたときに綾波は、内界で彼女の魂であるリリスと会話をする。
 前述したように、エヴァンゲリオンの世界では、リリスは人類(リリン)を生み出した母親である。リリス綾波に、生命の実はアダムによって持ち去られてしまい、残っていたのは知恵の実だけだったのだと述べている。あなたも生命の実を望むのかという綾波の問いに対し、リリスは次のように述べる。
「私が生み出した生命・・・。人類には生命の実が欠けている。不完全な生命体よ。(綾波 「人々を完全なものにする為に、私は必要なの?」)私の子らは、それを望んでいるわ」
 リリスは、自分が完全になるには、知恵の実と生命の実の両方が必要なのだと述べる。
 ここで、バナナ型神話の話を聞いて綾波が動揺した理由がわかってくる。バナナ型神話における不老不死の象徴である「石」と、「生命の実」は同じ役割をしていたのだ。実は、綾波が生きるユダヤキリスト教をモデルとした神話は、バナナ型神話と同じ構造を持っていたのである(生命の実/知恵の実≒石/バナナ)。おそらく、生命の樹と知恵の樹という創世記の神話は、バナナ型神話の変形なのであろう。
 バナナ型神話の類例は多く、例えば古事記に見られるニニギノミコトコノハナサクヤヒメ、そしてイワナガヒメの神話も同じ構造をしている。
 国津神であるオオヤマツミ天孫ニニギに美しいコノハナサクヤヒメと姉のイワナガヒメを嫁がせたが、ニニギはイワナガヒメの醜さを恐れて送り返し、コノハナサクヤヒメとだけ結婚した。恥をかかされたオオヤマツミは、イワナガヒメ(石長姫)は天孫の長寿のために嫁がせたものだったが、送り返されたため天孫の寿命は桜の花のように短くなるであろう、と述べるのである。ここでも、植物(コノハナサクヤヒメ)と岩石(イワナガヒメ)の対立によって死の起源が語られている。
 このようにバナナ型神話の類例を見ていくと、実に興味深いことに気づく。表面的には神から二つのものを差し出され、その両方が受領可能に見えるが、人間は必ず生きて生成するものを選び、その結果死を与えられることになるのである。
 死は、人にとっては不条理なものである。だからリリスのように、命の実と知恵の実を両方得たいと思う。しかし、永遠に生きるとはどういうことなのか。そこでバナナ型神話は、石を差し出すのである。
 石を受け入れ、石のように生きるということは、変化をしたり生成をしたりすることの拒絶である。そこにはバナナのようにおいしいものもないし、コノハナサクヤヒメのように美しく、エロスを発するものもない。変化のない恒常的な世界で、出会いもなければ別れもなく、好きになることや愛しあうこともない反面、憎しみあうことや傷つけあうこともない。しかし、当たり前のことだが、生きるということは、生成して、変化して、やがて朽ちていくということなのだ。
「生きていくことは、変化していくことだ」
 庵野監督はこの言葉を掲げてエヴァンゲリオンを作ったわけだが、彼の作品はまさにこうした神話と深層でつながっていたのである。
 さらに、哲学屋上がりのノンフィクションライターである僕は、バナナ型神話と通底していた庵野秀明のこの姿勢に、「存在と時間」を書いていた頃のハイデガーと同質のものを感じる。
 ハイデガーは当時、近代ヨーロッパの物質的・機械論的自然観と人間中心主義的文化が明らかに行き詰まりにきていると考え、これらの根源はどこにあるかを考えていった。「存在」という概念をたどっていったところ、それが遠くギリシャ古典時代に「存在」を「製作/非製作」というモデルで「被製作物」と考えていたプラトンアリストテレス以来の問題であることがわかった。
 ニーチェから深い影響を受けていたハイデガーは、ソクラテス以前の思想家たちが「存在(万物)」を「自然」と見なし、「生きて生成するもの」と捉えていたことをよく知っていた。昨年亡くなった、日本のハイデガー研究の第一人者であった木田元は、次のように述べている。

ハイデガーは人間を本来性に立ちかえらせ、本来的時間性にもとづく新たな存在概念、おそらくは〈存在=生成〉という存在概念を構成し、もう一度自然を生きて生成するものと見るような自然観を復権することによって、明らかにゆきづまりにきている近代ヨーロッパの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てていたのである」(「ハイデガーの思想」岩波新書
 ここでは「物質的・機械論的自然観」が「石」に、「生きて生成する自然観」が「バナナ」に対応している。エヴァンゲリオンの言葉で言えば「人によって仕組まれた」人類補完計画は常に挫折し、人は、自らの内なる自然によって変化し、生成していくことになる。

ダメな宗教の条件

 前回の続き。
 オウムの体験修行をしていた頃「よく洗脳されませんね」みたいなことを言われたのだが、それもそのはず、僕は徹頭徹尾宗教としてのオウムを評価していなかった。
 「ダメな宗教」としか思っていなくて、そこになんでこんな善人が捕らわれていくのか、ということに興味があった。


 宗教系ライターの経験から、まずダメなのは「予言」と「超能力」を売り物にするところである。予言という意味ではエホバの証人がそうで、30年おきぐらいにハルマゲドン予言を起こしては外し続けている。麻原は1997年は「真理元年」になり、自分は日本に君臨すると予言していた(笑)。また、オウムが超能力を売り物にしていたのは周知の通り。


 鎌倉時代に活躍した明恵にも不思議なことがよく起こったようだが、彼は、「それは仏教の修行をすれば自然に起こることで、別にたいしたことじゃない。くだらないことで大騒ぎするもんだね」と述べている(「伝記」より。拙訳)。まったく相手にしていない。


 ラマナ・マハルシはというと、こうである。


質問者:テレパシーのような能力を得るのは良いことではありませんか?

マハルシ:(後半)何のための超能力なのか? 超能力者になろうとする人は自分の力を他の者たちに誇示して、賞賛を求めているのであり、賞賛が得られなければ幸福にもなれないだろう。そしてそこには彼を賞賛する他者の存在も必要とされる。彼は自分よりも高い能力をもった者に遭遇することさえあるだろう。それは嫉妬を生みだし、さらに不幸を招くだろう。
 どちらが本当の力だろうか? 虚栄を満たす力か、平和をもたらす力か? 平和をもたらすもの、それが最高の成就(シッディ)である。(「あるがままに」より)

 これなど、麻原の転落の本質を見事に突いていると言っていいだろう。


 「最終解脱者」という自称も麻原のダメさの象徴で、自分で自分を持ち上げる最低さである。ちゃんとした宗教者は、存在しているだけで他人が勝手に聖者と言い出す。しかもそれにとらわれない。


 早逝したが、脱カルト研究会の初代代表で、僕が個人的に親しかった高橋紳吾先生は、ダメな宗教の条件として「法外の金を求める」「生理的剥奪をする」という2点を挙げていた。これはそのまま麻原教・オウムに当てはまる。つまり僕的に言うと、麻原にはダメな教祖のすべてが詰まっていたのである。そんな宗教に洗脳されるはずがない。


 そんなわけで、オウムの教義にも、修行にも、神秘体験にもまったく興味がなかったのだが(そんなことは勝手に起こる。そしてそのすべては非科学的である。すなわち検証不能である。)、そのダメな教祖を信じる信者はというと、これが非常に興味深かった。
 鰯の頭も信心から、とはよく言ったものである。これは僕の個人的な見解だが、教祖への帰依が起こっているとき、そこでは実は自分の中の「大いなるもの」への帰依が起こっているのである。信者はそれを外部に投影しているに過ぎない。だからその対象がどんなにダメな教祖でも、鰯の頭でも、そこに救いが生じる。
 したがって本当に神聖なのものは、信者の心に眠っているもの自体なのである。ただ単に投影しているだけだということを理解しないので、あんなアホ教祖のいうがままにサリンをまいて、殺人という取り返しのつかぬ大罪を犯してしまうのである。
 おそらく、あのアホ教祖と関わらなければ、すばらしい生涯を送った人が大半であろう。ある意味で、悪霊にとりつかれたような物である。まあそのアホにも、アホになるだけの理由はあったのだろうが。


 そのような意味で、いまだアレフに残っている人たち、特に荒木浩さんとは久しぶりに話をしてみたいのだが(以前インタビューしたときも、その人間性のすばらしさに驚かされた)、なかなか果たせないでいる。
 また「麻原彰晃を信じる人びと」という本の中で「西山さん」という仮名で紹介した外報部の人もすばらしい人だった。彼は脱会し、その後禅僧になったそうだが、やはり再会を果たせないでいる。もしこのブログを読んでいたら、メアドはプロフィールのところに書いてあるので、ぜひ連絡ください。
 


 

麻原の顔、ラマナの顔

 このところ、テレビや雑誌の取材で元オウム信者によく会う。先日はひかりの輪の上祐さんに会った。
 僕自身、取材のため2年近くオウム内で体験修行してきたので(上祐さんの説法も聞いた)、知り合いの元信者に会うと同窓会をやっているような、懐かしい気分になる。脱会した人たちはみな麻原の呪縛から逃れるための凄まじい体験をしており、何か憑き物が落ちたような柔和さで話をしてくれる(ちなみに上祐さんのインタビューは「徹底検証 世紀の大誤報 別冊宝島2281」宝島社)。『麻原彰晃を信じる人びと』という本の中にも書いたが、僕は麻原に聖性を感じたことがまったくなかった。僕が聖性を感じ続けたのは、彼らのような信者たちだった。
 いまさらながらなのだが、元オウム信者たちは、どうして麻原のあの顔に聖性を感じることができたのだろう、と思う。僕はオウム内で数限りなく麻原の顔を見たが、傲慢さ、征服欲、攻撃性の強さ、といったものしか感じられなかった。


 三年前ぐらいのことだが、いささか不思議な経験をした。
 その頃、僕の一人息子は高校生だったが、学校には通えず引き篭もっていた。素直で優しい子供なのだが、精神年齢がいささか幼く、クラスメイトにすればそれがうっとうしかったのだろう。いじめまがいの体験をし、学校に行く気力をなくしていた。うつ病のような寝たきりの状態になり、身長は180を越しているのに、体重は50キロを割ってしまった。血圧が保てなくなり、起きていられないのである。
 その頃のことである。
 眠っていて、明け方ふと気がついたら、僕の布団の上に金色に光る人が浮いていた。
 それは初老のおじいさんで、身長は160センチぐらい。和服を着ていて、僕に笑いかけてくるのである。全身が柔らかいが圧倒的な金色の光につつまれている。そして一言も話さないのだが、息子はこれから回復に向かうから、まったく心配することはない、と伝えてくるのだ。
 その顔は、柔和で、慈愛にあふれていて、聖性そのものだった。
 やがて同じようないでたちをしたおばあさんが現れ、寝ている息子の中に何度も出入りして、息子を癒し始めた。
 あまりのことに僕は気を失ってしまったらしい。次に気がついたときにはもう朝になっていた。あるいは夢だったのかもしれないが、夢とはとても思えないようなリアリティーだった。
 その話をすると息子は「先祖の霊じゃないの」と言った。
 その人の言うように息子はその後回復した。高校には二度と行かなかったが、大検を取り、一年浪人して今は大学生をやっている。東京が彼にとっていい刺激になっているらしく、落語のサークルだ、ゲームのサークルだ、次は試験だと、帰郷するなりしゃべり続けている。相変わらずの、うるさい息子に戻った。
 以来、僕は彼らのことを「光の人」と呼んで、時折思い出している。


 分析心理学的に言えば、息子の病という不安な心理状態の中で、しかも睡眠と覚醒の狭間という心的水準が低下した状態での、一種の幻視が起こったのだと考えられる。そこで集合的無意識が選んだのは、自己(セルフ)の元型イメージであり、それが老賢人の幻視という形をとったようだ。僕はこれまで幻視の経験がまったくなかったので、実に印象的な出来事だった。

 
 最近、取材を通して、ヒンドゥー教の聖者ラマナ・マハルシを知った。
 彼は、かの有名なマハトマ・ガンディーと同時代を生きた人だ。1879年に生まれて、1950年に71歳でなくなっている。
 彼の教えも実に興味深いものだが(心理学者のカール・ユングが絶賛している)、それ以上に僕が驚いたのは、写真に残っている彼の顔だった。それが、僕が見た「光の人」にそっくりなのである。
 もちろん、光の人は日本人の姿をし、ラマナはインド人だから、顔のつくりはかなり違う。そっくりなのは、その柔和な笑顔の雰囲気なのだ。

 
 無論ラマナの顔にしても、10代の写真や30代と思われる写真からは聖性は感じられない。そこには必死の男の顔があるだけである。30代と思われる写真は、サッカーの日本代表だったサントス・アレサンドロそっくりだ。
 しかし、頭髪が真っ白になってくるあたりから、ラマナの顔に聖性が現れてくる。
 「聖者は、顔が命」
 多くのキリスト像や仏像がそうであるように、いわば普遍的な聖者のイメージが彼の顔に現れてくるわけだが、なぜこんなことが起こるのか、実に不思議である。ここまでくると、彼が「真我」に座り続けている、という発言も「そうなのかもねえ」と思えてくるのだ。彼の宗教的境地が、彼の顔を変えているのである。

 
 こんなことを書くと、現役のアレフの信者から「そんなの大泉さんの偏見か無意識的な執着の現れですよ」と批判されそうだが、本当にそうなのか。たしかに僕の書く記事はすべて僕の偏見である。しかし、人間は赤ん坊の頃から膨大な数の人間の顔を見、その記憶をストックして、それが自分に危害を与えるかどうか、自分を愛しているのか憎んでいるのか、無意識的に判断している。その能力を、なめてはいけないのではないか。


 誤解があるといけないので付け加えておくが、僕はこの「光の人」現象を「幻視」と考えている。科学的には、まったく無意味な現象である。

スキゾ・エヴァンゲリオンはパラノと姉妹本です

先日竹熊健太郎さんから久しぶりにメールをもらって、最近どうしているのかなと思って調べていたら、「スキゾ・エヴァンゲリオン」の電子書籍版の予約受付がもう始まっているのを知りました。契約は交わしてあったのですが、なんか先のことだと思っていたのでした。しかも竹熊さんはちゃんと宣伝もしておいてくれました。大人だなあ。そんなわけでお返し。


庵野秀明スキゾ・エヴァンゲリオン好評予約受付中。竹熊健太郎氏の「パラノ・エヴァンゲリオン」と姉妹本です。編者の二度と読み返せない恥ずかしい詩も収録中(してるよな?)。


スキゾ・パラノは今となっては懐かしいですね。久しぶりの大泉広報部長でした。

核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(7)


 
石牟礼道子は、水俣についての作品のなかで、住民の悲劇について「文字のいらない世界と文字の世界との衝突」として捉え、いかに水俣病の被害者とチッソ側との交渉がすれ違ったものになったかについて書いている。
これは今回の原発事故でも、本質的な問題の一つだと思う。
むろん、渡辺はま子さんが「文字のいらない世界」に住んでいたなどと言いたいわけではない。
JCO事故と母のPTSDの問題で、10年以上文部科学省経済産業省との交渉に明け暮れていた僕は、それを「科学の世界とこころの世界の衝突」と言い換えることができると思う。
JCO事故の際にも、今回の原発事故と同じように政府の指導が遅れ、それが被曝者を増やす結果となった。この問題について、当時の科学技術庁と話し合っていたとき、担当課長が、
「国の指導が遅れたため被曝者が増えたかどうかについては、まだ計算されておりません」
と言い、被害者の会の代表だった父は直後に切れた。
 今回の原発事故で言えば、石牟礼の言う「チッソ側」というのは、文部科学省経済産業省の役人たち、それに東電の幹部たちなど、原発を推進してきた側ということができる。彼らは、自然をヒュレー、すなわち素材として、そして対象として見る。この場合、対象と自己の「こころ」の関係は切れている。だから彼らは、それをいかに操作的に利用するかを考える。
 その根底には、プラトン以来の自然を対象化して考える世界観がある。西欧由来のもので、自然をいわゆる「客観的対象」として「研究」しようとする態度だ。日本の教育でももてはやされてきた世界観である。
 対象と自己の関係が切れているとき、そこに対象そのものの「価値」は認められない。それは「マテリアル」でしかないからだ。「科学は価値中立的である」というお題目はここから生まれたといっていい。そして、その価値の空白に「経済的効果」と「効率」が滑り込んでくる。
 ところが、この人たちは自分の内臓ひとつ思うようにできない。身体というのは、海や山と同じように人間にとって「自然」に属するものだからである。
このタイプの人たちは自分の内臓すら「マテリアル」と考えがちである。その結果、例えば内臓が癌になって愕然とし「なぜ自分は癌になってしまったのか」と自問することになる。
そこで「それは、何らかの理由で遺伝子に変異が起こり、正常な細胞の分裂、増殖、老化、死滅というサイクルが乱されて、体が必要としない細胞分裂を起こして増殖し」などと科学的な説明をうける。それはこれまでこのタイプの人たちが判断基準としてきたものだが、それがこの際何の慰めにもならないことを知るのである。そしてこれまで自分が被曝者にやってきた「日本人の3分の1は癌で死ぬんだから、あなたが癌になったって何の不思議もない」という科学的説明を、今度は自分が受ける側になる。
それは科学的にはまったく正しいのだろう。しかしそれをこころを持った人に対してあえて説明する愚に、自らが直面しなければならなくなる。
その時、この人は自分が置き去りにしてきた「こころ」と向き合わなければならなくなる。
「核という呪い」などと言ったところで、原発事故以前の上述の人たちは「何を非科学的なことを」と歯牙にもかけなかったであろう。
 しかし今、核という呪いにもっとも深く呪われているのは、明らかにこの人たちではないか。外部電源の喪失から、注水の不能、水素爆発、メルトダウンメルトスルー、従業員、住民と環境の被曝、汚染水の問題、被害住民への補償、そして原発関連死による責任追及への訴訟対応と、次から次へと自分たちの能力を超える事態に直面し、翻弄され、疲弊し、倒れていかざるを得ないのは、いったいなぜなのか。
経済効率という言葉によって、地震という自然の営みを舐めきっていた人間は、自然から大きなしっぺ返しを喰らい、深く反省したかに見えた。しかしわずか2年もたたないうちに、また同じ道を歩み始めている。

一方で、水俣の漁師やはま子さんのように自然のなかで生きてきた人たちにとって、自然は意味をおびている。それは「素材」などではない。そして自分自身を、自分のこころと体を、このように生きて生成する意味をおびた自然の一部として見る。それがどのようにかけがえのないものであるかは、ここには書かない。そして、このかけがえないものを基盤として「生活」が営まれる。
こころ、は生活の中にある。
僕の母も同様だが、被災者には、自分の「生活の核」から、汚染によって引き剥がされたという強い思いがある。「生活の核」の喪失。その時に、こころが深いダメージを受けないはずがない。原発関連死の多くは、このときこころが受けた深いダメージを起因としている。そして死者は1000人を超えた。
このことは、原子力事故の被害想定に、人のこころを無視してきたのがいかに論外であったか、を論証する。
そして言うまでもないことだが、今後の原子力事故の被害想定には、真っ先にこの問題が検討されなければならないだろう。

核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(6)


 
福島県伊達郡川俣町の山木屋地区を、渡辺はま子さんの家を探して走った。

2013年3月9日。朝。
今日は計画的避難区域に取材に行くと言うと、妻は汚濁を見る強い視線で
「靴の土は、払ってきてね」
と言った。日立市にある僕の家では、高校生の息子を育てている。
 どこで払ってくるのか、それがまた問題なんだよな。

 朝のニュースで、大阪市の家庭から出た生ゴミから、33ベクレルの放射性セシウムが検出されていることが明らかになったと、大阪市が発表していた。
汚染されていたのは、魚か? それとも野菜か、あるいは米だろうか。
 食品の出荷制限はキロ当たり100ベクレルだから、福島から遠い西日本とは言っても、ある意味でありうる事態である。
 しかし、たとえばバンダジェフスキーも危険視するように、20−30ベクレルの内部被曝を深刻な数値と捉える専門家もいる。
 大阪ではパニックにはなっていないようだ。日本中が放射能汚染という汚濁に飲まれ、徐々に無感覚になっている。
 
山木屋に近づくにつれ、人家が少なくなっていく。
そのものずばり、茸山なんて山がある。この土地の人たちが、どれだけ自然と一体化してきたかが目に浮かぶ。
幹線道路を折れて、枝道に入る。
深い山と山の間に細い川があって、その川に沿って、ポツリポツリと家がある。家の入り口には、バリケードが作られている。泥棒除けだろう。
 隣家までの距離は遠い。500メートルから、時には1キロを越える。
 山間に開かれたわずかな土地に畑があり、ビニールハウスが作られている。
 雪解け水が、あちこちでちょろちょろと流れている。これらの水は、どのくらい汚染されているのか。
 頭ではわかっていたが、こんなに深い自然の中だとは思わなかった。現場に来て、それが身にしみた。ここで自然がやられたら、生活の維持は不可能だろう。
 そこに、渡辺さんの家があった。

 部屋に入ると、仏壇にはま子さんの大きな写真があった。
 ふわりとした柔らかい顔で笑っている。
「山で山菜を採るのが大好きでね。春早くから、一緒に採りに行った。
 ふきのとう、タラの芽、ゼンマイ、ワラビ、コゴミ、秋は茸だったね。ここにはかなりの種類の茸があるんですよ。四季折々の楽しみがあった。
女房は特に山菜取り好きだったからね、自分は女房ほどじゃなかったけど、一緒についていった。ここでは、自然と一体にならないと生活できないんですよ。
 今は山は線量が高い。当分はダメだね。
女房は花と野菜を育てるのも好きでした。すべて自家製で、野菜は買ったことがなかったですね。仕事が休みの日曜なんかに、露地の野菜や、ハウスの花を作る。神奈川にいる孫に野菜を送ってやるのが楽しみでね。
今は野菜を買うんだけども、高くてね。ネギが一本100円以上する。ネギなんて、いくらでも取れたんで。
自分は山木屋の甲8区24世帯の区長をしてるんですよ。新年会から、共同の花壇の手入れや、秋の芋煮会、お寺や神社もあれば、小中学校もありますから、いろいろな行事があります。それを知らせて歩くのが役割です。
養鶏所の仕事をして、山菜採ったりする楽しみがあって、花や野菜を作って、一年のいろいろな行事があって……、自分ではごく普通の生活だと思っていましたね」
福島の自然と一体化して生きる「ごく普通の」生活。それが妻もろとも、根こそぎ奪われてしまった。
「裁判始めてみて、裁判にならないと話をする場すらもてない、というのが悔しくてね。提訴する前に交渉しようと広田先生が三度東電に足を運んだけれど、門前払いだった。今は広田先生の指示で必要な書類を集めています。とにかく必要な書類が多くて、時間がかかりますね。
 東電の態度には腹が立ちますね。裁判の上でなくちゃ話ができないというのはおかしい。東電は卑怯すぎる。
 女房みたいに亡くなっている人は数多くいます。事故さえなければ……
 一番の原因は原発事故ですよ。誰が見てもはっきりしている。それを認めない。あまりにもずるい。
 東電みたいな大企業なら、きちんと責任をとる必要があるはずですよ。それを……、大企業だから、余計そう思いますね。
 ところが、被害に遭っている人たちを、泣き寝入りさせようとしている。自分たちの責任を認めるのがいやだから、泣き寝入りをさせようとする。そういう態度は……」
 渡辺さんは東北人らしい穏やかな口調で話すが、さすがに厳しい口調になった。東電は地元の優良企業として信頼を集めていただけに、原発事故を起こしてからの手のひらを返したような豹変ぶりが、よりいっそう醜く見えるのだろう。
「去年(2012年)の11月から仕事を始めました。はじめは山木屋の除染の草刈りをしてたんですけど、今は町の除染をしています。
 山木屋では実験的に3箇所で除染をしたんだけれども、一時的に下がっても結局は元に戻ってしまうんですよ。周りの山が(線量が)高すぎてね。
 それでも、仕事はいいですね。いやなことを忘れますよ。避難生活では、昼間にやることが何もなかった。あんな苦痛はなかったですね。
 避難したのは、2号機のサプレッションプールが破裂した3月15日でした。14日の夕方2号機に水が入っていないというTVの映像を見て、ただ事じゃないと思ってね。とにかく眠れないんですよ。午前2時ごろから女房も起きてきて、夜が明けてから自分の受け持ちの部落の人に『逃げたほうがいい』と巡って歩いてから、避難しました。その時は女房もしっかりしていた。積極的に対応してくれました。ただ、避難先でも『戻れるの』という心配は強かったですね。
 3月21日にいったん帰ってきて、仕事を続けていたんですけど、そのあと計画的避難区域に指定されて、決められた避難所が遠かったので、アパート探しをしていた。自分たちは養鶏所の仕事をしていて、鶏が残っていましたから、殺すわけにはいかない。通えるところじゃないといけなかった。
 福島市にアパートが見つかって、6月12日からそちらに避難しました。養鶏所にはそこから通いました。そのころには山木屋が放射能が高いということはわかってましたから『戻れるの』という不安はいっそう強くなっていた。
 一番こたえたのは、夫婦で同じところに勤めてましたから『仕事がなくなっちゃう』ということでしたね。二人して仕事を失ってしまう。家のローンも残っていましたし。このころはまだ補償については何の話も出てきてなかった。
 女房にはアパート生活もこたえたようでした。ここは静かでしょう。どんなに騒いだって近所に迷惑はかからない。時々部落の人たちとカラオケやりましたけど、どれだけ騒いでも隣の家までは音が届かない。自分は町で生活したこともありましたが、女房はここ生まれ、ここ育ちで、他の場所での生活を知らなかった。
 暑くなる時期だったので、網戸にしていると、隣の部屋の話し声が聞こえる。そんな生活は、まったく想像もつかなかったんでしょうね。気を使って、気疲れしていた。どんどんやせて顔色が悪くなっていった。女房が気にしていることはわかってたんだけれども、電話がかかってくると自分も思わず高い声で答えてしまう。それでよく女房に注意されましたね。
 昼間、やることがないというのが本当に苦痛なんですよ。女房にしても、動いているのが普通でしょう。動いていないと調子悪くなる。それまでは息子二人との4人生活で、山ほどの洗濯物があって、毎朝4人分の弁当を作っていた。それすらなくなった。
 そうすると、いいことは考えなくなってくるんですよ。今後の不安。住宅ローンをどうすればいいのか、とか。
 だんだん外出がいやになってくる。うつになって、買い物にも行きたがらない。食材も選べない。
 山木屋の家では、自家製野菜を保存していましたから、料理といったら野菜中心でした。それをつつきながら晩酌して……、ところがその野菜を買わないといけない。買いたくなんてないですよ。高いし。
 まるっきり別世界に追いやられて、山菜を採る楽しみもなくなってしまって……」
 スーパーなどで「嫌な視線で見られている」などと言っていたのも、このころである。そして、前述したように、はま子さんがしばしば「山木屋へ帰りたい」と訴えたため、草刈りもかねて山木屋の自宅に一泊することにした。
 アパートから山木屋の自宅に向かう途中、川俣町の『ファッションセンターしまむら』に立ち寄った。幹夫さんははま子さんの気晴らしになればいいと思い「何でも買っていいよ」と言った。ところがはま子さんは幹夫さんに買うものを選んで欲しいと言った。自分で選ぶようにと言ったのだが、するとはま子さんは、色違いのまったく同じ服を6着購入したのだった。
「選んで、って言われたんだけれど、女性の服はわかんないし、下着なんかも並んでいるんで入りづらい。だから『買ってきたらいいべ』と言って車で待っていた。
 おかしいとは思ったんだけど、気づいてやれなかった。普通だったら気づくと思うけど、この時は自分も不安な状態で、余裕がなかった」
 翌朝、はま子さんは自らに火をつけることになる。

 はま子さんの、絶望の声を聞く。
 自らを育んだ自然と引き剥がされた、はま子さんの絶望の声を聞く。
 自分自身が自然の一部であって、生かされているものでしかないという自覚を欠いた人間の、おごりを知る。

核という呪い ブログ版 焼身自殺死訴訟(5)

 もう一人の精神科医が、南相馬の雲雀ケ丘病院で働く堀有伸先生であった。
 堀先生も末田先生と同様に、はま子さんのアパートでの被害妄想体験に着目した。
「この地域の高齢の方の土地との結びつき、一体感というのは、都市部とは全く違います。だからそこから引き剥がされたときのショックの大きさは、ただごとではない。僕らが『みんなの隣組』をやる理由もそこにあります。
 だから、この方にとってアパート暮らしというのは過酷だったと思いますね。そこで一過性の、統合失調症に近い不安が出たのかもしれないですね。一過性ならありうると思います。いずれにせよ、原発事故による避難が引き起こしたものですね。僕の見立てでは、心因反応で因果関係あり、ということになります」
 この堀先生の説明を聞いたとき、何かが僕の記憶をくすぐった。家に帰ってしばらくして思い出したのだが、それは以前読んだ水俣病についての報告であった。


宗像巌は水俣病水俣の人々を「客観的対象」として研究する態度でなく、水俣の人々のなかにはいりこんでゆくことによって、水俣問題の中心点としての宗教性に触れたのである。宗像によると、水俣の人々にとって「制度的な宗教世界」よりもむしろ大切な「見えない宗教世界」が存在し、そこに果たす自然、特に海の役割の重要性は測り知れぬものがあるという。彼は「漁民の日常生活に参加して行くと、これらの人々の心の中では自然の存在がきわめて重要な意味を持つものであることがしだいにわかってくる。……それは人々の魂に深い感動を与える宗教的意味をおびた対象である。……美しい絵画的構成を持った風景は、この地に生まれ、長年月にわたり海を身近に感じて生活してきた漁民の心の奥に、不思議な安定感と永遠性を感じさせる世界を構成してきているのである」と述べている。海は不知火海の漁民たちにとって「神的なるものの偏在を感知させる象徴的意味をおびた『聖なるもの』として存在している」のである。
 ところが、その海が汚染され、それは多くの人々に病と死をもたらした。「自然」は死んだのである。             (『宗教と科学の接点』河合隼雄著 岩波書店


 自然、特に海と一体化して生きてきた水俣の漁師たちにとっては、それは単なる自然を超えた「聖なるもの」であったというのだ。その自然が死んでしまった時の彼らのこころの傷は、測り知れないものであったろう。
 僕はそこに福島のこころの被害との深い共通性を感じた。
 非常に興味深かったので、河合の報告の元となっている宗像巌の報告を取り寄せてみた。それは1981年3月に上智大学で行われたシンポジウム「宗教的エネルギーと日本の将来」で行われたものだった。宗像巌は上智大学の教授であった。


 茂道で一番先輩格の老漁師は、チッソ工場の廃液が海中に流入し、拡大しているのを、目のあたりに初めて見たときの驚きを次のように語っていた。
 それは、たまたま、故障した漁船のヤンマー・エンジンを修理するために百間港に出かけたときのことである。水俣周辺の美しい海で生活してきた老漁師は、長年の海の生活で見たことのない黄緑色のドロドロした、悪臭を放つ異物が海面下を流れているのに気づいた。海に深い信頼を寄せ、海自然の持つ自浄力を疑うことのなかった漁師にとって、この奇怪な汚濁流を見たときの衝撃は、今でも忘れられないという。漁民にとっての海は、単なる物的自然を超えたものである。海は漁民の心の中にひとつの世界観、宗教の世界を形成する上で重要な基本的な存在枠であったのである。
 水俣病が発生し、人々が激しい痙攣に襲われ、もだえて狂死して行くのを見て、また、猫、豚、カラス、カモメ、魚介類が次々に死滅して行くのを見て、当然のことながら、人々はこの原因不明の「奇病」発生の中で激しい不安と緊張に襲われた。(中略)
さまざまな生命の源である海自然を存在の母胎として、漁民の心にはいつのまにかひとつの死生観がはぐくまれてきている。海自然とすべての生類との関係は深く、その間には独特の輪廻観が生まれてきている。生命の無限の母胎である海から生まれてきた人間も、この世の生活を終えたあとには、やがて、再びこの美しい自然の海原のなかに回帰し、融合し、一体化して行く。茂道漁民の間では五十年の供養が続けられているが、とぶらいあげの終わった死者の霊魂は自然世界内の霊界に立ち戻って行くのである。(中略)
 ところで、このような「見えない宗教世界」の中に生きる水俣漁民が、まったく突然に、その生活世界の外部から水俣病の襲来を受けたのである。漁民にとっては「聖なるもの」を体現していると感じられていた海が汚染され、自然環境が破壊され、親しいものたちの生命と身体が奪われ犯されたのである。その結果、この漁村の人々の平和な生活は悲惨な苦しみのなかに落とし入れられてしまったのである。
            (『日本人の宗教心』門脇佳吉、鶴見和子編所収、講談社) 


 福島の山村で自然に溶け込んで生活してきたお年寄りたちと、海という自然を「聖なるもの」と感じて生きてきた不知火海の漁民たち。彼らにとって、自らが育ってきた豊かな自然は何にもかえがたいものであったろう。その「結びつき、一体感」は、都市部に住むわれわれには想像もつかないほど深かったのだろう。それを診てきた堀先生は「だからそこから引き剥がされたときのショックの大きさは、ただごとではない」と述べているのである。
 原発事故による、自然の死。
はま子さんにとって、それは「ただごとではない」激しいショックを引き起こしたのではないか。
なぜはま子さんは、避難区域にある自宅で、自らを焼き、土に帰そうと思ったのか。
このように考えてくると、彼女は、母なる自然と再び一体化するように、自らをはぐくんだ自然の中へと身を滅していったように思えてくる。